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2006年10月 アーカイブ

2006年10月 1日

「ホテルルワンダ」の衝撃

今日は、映画の日なので藤沢のオデオン座に出かけました。オデオン座は藤沢駅の北口、南口それぞれにに2館ずつ4館あるのだが、うれしいことに大作ばかりではなく、ミニシアター系のものや自主映画みたいなものを上映してくれるがんばっている映画館なのだ。それと、いろいろと割引があってレディスデイ、メンズディ、バースディ、夫婦の日、夫婦50割引、高校生友情割引などがあり、中でもぼくが助かるのは毎週水曜日のメンズディで男はみな1000円で映画が観られるという何ともこれまたうれしいサービスなのだ。

「ホテルルワンダ」は、2004年度のアカデミー賞で3部門にノミネートされた映画であったが、日本で公開する予定がたたず、若い人たちがインターネットを使って署名運動をしたりして、やっと今年の1月に公開された。東京まで行かないと見ることができないのかと思ったら、夏に予告が出て9月末から2週間の限定で上映することがわかり、楽しみにしていた作品です。

この作品は1994年実際にルワンダで起きたことを映画化したもので、主人公のホテルの支配人も実在のひとで、現在ベルギーに亡命し会社を経営しているそうです。部族間の内紛にからみホテルに逃げ込んだ1200人の難民の命を救った物語ですが、この作品のよさは、実際に起きた大虐殺という事実が非常に深刻なものであるがゆえにそちらに焦点をあてたドキュメンタリーのようになりがちなのを、主人公であるホテルの支配人の家族を中心とした人間ドラマに仕立てたことではないでしょうか。主人公が家族への愛から徐々に多くの人々を救う心に変化していく過程が感動を与えてくれ、最後のシーンでは涙がとまらなくなりました。

キャストもすばらしく、夫婦役のドン・チードルとソフィー・オコネドーが迫真の演技でアカデミー賞の主演男優賞と助演女優賞にノミネートされたのも十分納得できる。久々感動の感動もの映画でした。

2006年10月 4日

「フラガール」はベタな泣かせ映画か

話題の映画「フラガール」を観る。途中の早苗という女の子が夕張に引越してしまう別れのシーンあたりから、これでもかこれでもかという泣かせシーンの連続で涙が止まったかなと思ったらすぐまた涙ということでずっと鼻水をすすっていました。実話に基づいているのだけれど、もう実話そのものがドラマチックだから、むしろどうやって2時間ちょっとに凝縮させるかが大変だったのではないでしょうか。

時代が昭和40年で蒼井優が演じる主人公の紀美子がちょうど高校生だから、ぼくの高校時代とダブルわけで当時の雰囲気がよく分かる。細かいところだが、紀美子が持っていた”パンナム”のバッグはなつかしかったですね。何しろ当時、航空会社のバッグを持つのがはやっていたのです。ちなみにぼくは”スイス航空”の水色のヤツを肩にかけて颯爽?と歩いていました。ただ、時代の感覚からいうと世の中の大半は高度経済成長の波に乗って生活が豊かになるという受け止め方でした。昭和39年に、東京オリンピックがあり、新幹線が開通し、日本中が戦後の復興を実感したころでもあったのですが、映画の舞台となった炭鉱はそれとは逆行するような世界があったのです。

変化が起こったときかならずその流れにのるやつと取り残されるやつがいる。この映画は取り残されるが、それを受け止められない、いや受け止めようとしないやつ、変化について行こうとするやつ、ここがチャンスだと思うやつ、そんなひとたちが織り成す物語となっています。

最初に言ったとおり実際のエピソードがすでに感動ものだから、それをどう演じるかでおおかたの良し悪しが決まってしまう。その点で言うと、まさにそこで成功したため高い評価となった。役者陣がすばらしい。まず何といっても蒼井優なのだ。前にテレビの”情熱大陸”を見て知っていたのですごく興味を持っていたが、予想以上にすばらしかった。この子間違いなく将来の日本映画を背負っていく逸材です。それと、意外といったら失礼だが、松雪泰子がテレビで見るときとは全然ちがうのでびっくりした。ふつう、映画というのは柄がでかく見栄えがよくないとだめみたいに言われるが、テレビではただやせた疲れたおねえさんに見えたのが、実に堂々とした演技でこれまたすばらしいできです。そのほか、岸部一徳、富司純子、豊川悦司など芸達者な面々が盛り上げています。ただ、南海キャンディーズのしづちゃんはう~んどうなんでしょう。

圧巻は最後のフラダンスのシーンで、これは感動ものです。この映画が何とアカデミー賞の日本代表になったそうです。アカデミー賞に合うかどうか疑問のところもありますが、健闘を祈りましょう。

さて、「フラガール」はベタな泣かせ映画かどうか、確かにベタな泣かせ映画であることは確かだが、演出、キャストなどが素晴らしいので「いい映画」となった。だが、残念ながら「名作」にはならないだろう。そういう映画です。

2006年10月 8日

システムがほしいのではなくサービスがほしいのです

今、少しばかりマーケティングについて勉強しているが、ある本にマーケッティングコンセプトは生産志向→製品志向→販売指向→消費者志向→社会志向へと変遷していると書いてあった。これをIT業界、とりわけソリューションベンダーの視点で見てみると面白い。

この話をする前に、この業界あるいは企業の情報システム部門が抱えている課題について整理しておく必要がある。大きな2つの構造的な問題点がある。ひとつは、エンタープライズシステムの作りあるいは作り方そのものの問題、もうひとつは、ヒトや組織、ユーザとベンダーの関係、人材育成等のいわば人的な問題である。システムの構造というのは、簡単にいうとフレキシブルでアダプティブな構造になっているのか、真の意味のSOAやBPMが実現できているのかという問題なのだが、これについては後日議論します。人的な問題で主なところでは、まず、ユーザにためになる、言い換えれば経営に役にたつシステムをベンダーはユーザに提供できているのか、つぎにユーザの情報システム部門もベンダーに丸投げせずに自力でシステム化する努力をしているのか、といったところがあります。

冒頭の話は後者の問題に絡んだことになる。すなわち、これまで、ソリューションベンダー(メーカ系であれ、独立系であれ、ユーザ系であれ)は、言われたとおりにプログラムを生産することから始まり、あるいは、ハードウエア、ソフトウエアを本当に使われるかは後回しで言葉巧みに販売してきたように思われます。しかもそれらが役にたっていなくてもハードのお金やかかった工数の労務費を請求し、ユーザはわからないものだから言われるがままに支払うという関係でした。コンピュータがわかる経営者もいなかったため、何となく高いコストであると思いつつそのまま放っておいたというのがだいたいの会社の実態なのではないでしょうか。消費者志向、社会志向ということを本当に考えていかなくてはいけないと思います。

ところが、先日あるベンダーのひとと話をしていて、話題が国の中小企業のIT化支援になったのだが、経済産業省が「IT経営支援隊」というプロジェクトを始めて今年が最後の3年目になるそうで、最初は中小企業のIT化促進というのが前面に出ていたのが最近はどちらかというとベンダー寄りになってしまったと嘆いていました。結局、主管しているのが情報処理振興課なのでベンダー育成なんですね。国がこんな調子だから困ってしまうのだが、要はユーザに役立ってなんぼですからそういう観点で支援してほしいものです。それが、ベンダーの消費者志向、社会志向のマーケティングにつながると思うのだが、私はもう半ばあきらめていて、ユーザ自身が立ち上がらなければいけないというのは以前「企業情報システムの課題」で書いたとおりである。

とはいえ、ユーザ自身ができるのはあくまで大企業であって中小企業は無理です。そこで、中小企業向けにシステムの共同利用をめざしたセンター化が必要になってくると考えています。しかも中小企業ですから地域密着型です。いま、そうした考え方から「ITから生み出されるサービス」を提供する「地場中小企業向けビジネスサポートセンター」というものを構想中です。いろいろなところで仕掛けをしていますが、時間がかかるのは覚悟の上でがんばっていきたいと思っています。

2006年10月14日

料理の量の問題について考える

この間、久しぶりに東京に出て、用件がわりと早めに終わったので4時半頃から呑み出す。以前勤め人だった頃あこがれたみんなが働いているときに酒を呑むという楽しみを味わった。

築地の「さらしなの里」で玉子焼きとそばみそをつまみに菊正の樽をいただく。いつもより酔いが早いような気がしたが願いがかなったうれしさからかもしれない。「さらしなの里」は明治32年創業の老舗で、築地の新鮮な素材もあり、そばも旨いので「ソバ屋で憩う」にはいいところです。締めでもりを食べたが、これが量が多くておいしくてうれしかった。有名なそばやは概して量が少なく、1枚では物足りないことがよくあるが、この店はしっかりと量があった。

量といえば、そのちょっと前に銀行にいく用事があって鎌倉駅の近くまで行ったので、「なかむら庵」で腰の強いそばでも食べようかと小町通りを歩いていたら、ふとそうだ「キャラウエイ」のカレーを食べようと思ったのだ。昼もかなり過ぎていたので待たずに入れて、すぐにチキンを注文。ここの店はカレーのおいしさもあるが、何といってもライスの多さが半端じゃない。だから、おばさんたちは小を頼むのだけどそれでも多いと言いながら食べています。ぼくは普通のヤツを頼んだので、昔は平気で食べていたが、待てよ今でも食べきれるかなとふと不安になった。さて、どーんとでてきました。ところが、全部平気で食べてしまいました。もう、TVチャンピオンのジャイアント白田の気分でしたね。

まあおいしいものは少ないよりは多いほうがいいなあという感じですかねえ。でもよくテレビなんかで紹介される極端なヤツは困りますが。

ところが、食べきれないくらいにどーんと出されても困るものがあるんです。それは刺身なんです。実はぼくがよく行く新橋にある魚を出してくれる呑み屋があるのですが、そこはいつも黙っていても大間のまぐろや関あじ、関さば、岩がき、うに(これが箱ごと出てくる)などいろんな魚や貝の刺身を盛り合わせてくれるのだけど、その量が多いのだ。残しちゃいけないと思って食べるのだが、刺身ってそんなに一杯食べられるものではないんです。いつもそこのおやじに”食い物というのはあとちょっと食べたいなというところで止めるのが一番おいしい食べ方なんだぞ”と言うのだが、いつ行ってもああもったいないなと思いながら残してしまうのだ。

結局、ちょうどいい具合な量で満足するっていうことはほとんどないのじゃなでしょうか。いつも、もうちょっと食べたかったとかちょっと頼みすぎたかなということを繰り返しているというわけです。

2006年10月24日

親子で紐解くWeb2.0 - 親父から息子へ

なにやら息子が「親子で紐解くWeb2.0」と題して、これからぼくを鍛えるそうだ。確かに世の中Web2.0という言葉が氾濫しているが、少なくとも皆が理解しているとは到底思えないし、年寄りはなおさら全く分からないまま、その恩恵に浴すこともないのだろう。しかし、年寄りにとってもひょっとしたら”すごいもの”かもしれないし、ライフスタイルだって変わるかもしれないのです。

親が子どもにキャッチボールを教えるように、こどもから親にWeb2.0とは何かを教えることも大いに結構なことだ。(亀田親子のような鍛えられ方はごめんだが) これから、紐を解く過程と紐が解けたとき中から何がでてくるのか皆さんに伝えていきたいと思います。まずは、開会のご挨拶!

親父から息子へ

若い人の中には、パソコンやインターネットはずっと昔からあったものだと思っている人もいるかもしれないが、パソコンなんてほんと最近現れたものなのですよ。ですからぼくたち親父たちは、Web誕生前を知っているし、Web2.0にも何とかついていけるかもしれない貴重な世代なのである。

PC、インターネットとの出会いというと、忘れもしないが、お前が生まれるちょっと前にまずシャープのポケットコンピュータというのを買って計算機として使っていたのだが、すぐに有名なシャープのMZ―80とかNECのPC-8001という本格的なパソコンが発売されたので、まずMZ-80を友達から借りて動かしてみたが、それは驚きでした。今から考えると、8bitマシンで外部記憶装置がテープで、ピー、ガーというやかましい音がしたほんと初歩的なものでしたが、ぼくにとっては画期的でした。何かすごいことができそうな予感がして、すぐに自分のお金でPC-8001を買いました。確か20万円近かったのじゃないかな、そうなのですPCの価格というのはあまり変わっていないのです。

で、このマシンで何をしたかというと統計解析プログラムを書いたのです。いいですかプログラム言語はN88-Basicですよ。これである化学反応のシミュレーションモデルを作ったのです。なんと正しい電子計算機の使い方でしょう。ですから、このときはまだ高級な計算機という感覚で、今のような使い方になるとは思ってもいなかったのです。それから、インターネットが登場し、あれよあれよという間に会社や家庭に普及していきました。そしてPCは計算機から情報を整理、蓄積、共有、検索などをするツールとなり、新たなコミュニケーションスタイルを確立していきました。

ぼくらがいまの君たちと同じ年代のころといえば、まだPCあるいはインターネットがない時代にあったわけで、そのときどうしていたのだろうかと思い出してみたら、実は同じようなことをやっていたのですね、全くのアナログの世界で。

今、手元に「シネマディクト77」という最初に勤めた会社の中でやっていた映画サークルの活動を記録したCDがある。シネマディクトというのは、“映画中毒者”とでも言ったらいいのですが、77ですから1977年に始めたサークルで6年間続きました。どんな活動かというと、毎月の会誌の発行、映画上映、自主映画制作、ロケ旅行などで、毎月発行の会誌には会員が見た映画の感想や映画鑑賞のあとの食べ歩き記事、身辺のトピックスやらを載せたりしたのですが、これが大変な作業で、まずトレッシングペーパーに手書きで記事やイラストを書き、それをアンモニア臭の強いコピー室で青焼きし、ホチキスで止め、皆に配って終わりです。それと、映画を作るのは8ミリで、撮影したものを現像してもらい、その編集はフィルムを切って、テープでつないでやるわけです。いまならもっと楽にできただろうし、もっとすごいことができただろうになあとホントに思う。

だから、あの頃にやっていたことやりたかったことをいまのWeb2.0の時代にどうやって実現できるかを実感してみたいということと逆にそういうことをやることにより、再びあのみずみずしい感性を呼び戻すことができないかも探ってみたいと思うのです。

2006年10月29日

読みかけの本

「シネマと書店とスタジアム」と言っておきながら、本の話が出てこない。別に本を読んでいないわけではなく、最後まで読んでいないのだ。要するに読みかけのままで置いてあるということだ。まず、福田和也が「悪の読書術」で絶賛していたので白州正子の「遊鬼―わが師わが友 」を読んだのですが、ちと高度な教養や美の世界にはついていけない感じで止まっています。

それと実は村上春樹なんです。えっと驚くと思いますが、村上春樹が読み切れないのです。あの分厚い京極夏彦の「鉄鼠の檻」も読めるのになぜなんだ(意味が違うか)。 それで、息子から文庫の「風の歌を聴け」を借りて読んだのだが、どうも以前読んだことがあるなあと思いながら読み進めたが途中で止まった。そうなんです、これが面白いことにふと自分の本棚をあさっていたら、同じ本が出てきたのです、しかもちょうど途中でやめたと同じところに頁の折り返しがあったのです。そうなんですね、数年前も同じところでやめているんですね。

それでどうしてなんだろうかといろいろ考えてみて思い当たったのは、同じ世代であることじゃないかと思い至ったのです。どうしてそう思ったかというと、ちょっと前に上原隆と関川夏央の本を立て続けに読んだのだけど、あまり気持ちよくなかったのです。実は彼らも同じ団塊世代の作家で、読んでてホントよく分かるんです、そうだったねそういうこともあったよねという感じになるが、また同時にその当時のいやだったことや恥ずかしかったことなどが思い出されてくるわけで、なんとなく嫌な気分になるというわけです。と言いながら沢木耕太郎も同世代です。ただ「シネマと書店とスタジアム」は評論みたいなものだから情緒的でないところで受け入れられるのです。だから「深夜特急」は読んでいないのです。少し意識しすぎているのかもしれませんが団塊世代の作家の本は苦手ですね。

昨日やっと読み終えた本が出てきて、もう気楽に読める本ということで奥田英朗の「延長戦に入りました」です。これはスポーツに関するエッセイですが、普通のスポーツエッセイとはちがって、著者があとがきで”冗談の通じる人には最良の爆笑本だと信じています”言っているように変なネタで大いに笑わせられる。たとえば、傑作だったのは「ボブスレーの2番目の選手は何をしているのか?」のコラムなんか抱腹絶倒ものですよ。奥田英朗は、「インザプール」「空中ブランコ」「邪魔」「最悪」というところを読んでいますがホント面白いです。冗談好きのあなたにお薦めです。

ところで、「最悪」を読んだと言いましたが、正直言うとこれまた読みかけで置いてあるのです。なぜって、この本を読んでいるとき、人生最悪のことが続けて起こったんだもの。

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