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2006年9月 アーカイブ

2006年9月 2日

カレーうどんにはまった

映画「UDON」の話を書いたら急に「カレーうどん」のことが書きたくなった。

ここのところカレーうどんにはまっています。きっかけは巣鴨の「古奈屋」のカレーうどんです。カレーうどんで1050円って何だろと思ったのです。(てんぷら入ると1410円ですよ)あまり値段のことを言うのはいやなのだけど、こんな高いのならさぞかしうまいだろうという興味で食べてみました。これがうまいんだな。いままで蕎麦屋のカレーうどんくらいしか食べていないのでびっくりしました。でちょっと他の店のものも食べ歩いてみるかとなったわけです。

それと、もともとテーマを決めて食べ歩くのが好きで、いま実行中のものは、蕎麦屋で一杯、料理で世界一周(日本には、こんな国の料理がというのがあります)、居酒屋めぐりなどを楽しんでいます。以前はラーメン屋というのもあったのですが、店の数も多いし身体に悪そうだから時々しか行っていません。

さてカレーうどんですが、もうひとつ興味をそそるのは"組み合わせのメニュー"であることなんです。すなわち、カレーもうどんもどちらも自立した食べ物ですが、それを組合わせていることが面白いのです。麺とカレーのうまさがどう調和しているのかしていないのか、単品のおいしさとまたちょっと違う楽しみ方ができるというわけです。

だから、カレーうどん屋の成り立ちには3種類あって、うどん屋(蕎麦屋も含めるとします、というか、もともとの発祥の店は早稲田の「三朝庵」という蕎麦屋だから、蕎麦屋でうどん屋も含めると言ったほうがいいかもしれませんね)というのとカレー屋からと専門のところです。残念ながらカレー屋がカレーうどんというのはあまり聞いたことがなく、CoCo壱番屋くらいしか思いつかないのですが。

そこでこれまでのベストテンを発表します(主として東京の店です)
1.古奈屋   巣鴨、六本木ヒルズや丸の内オアゾなど結構増えてしまいました。
2.五右衛門  高松にある店ですが、横浜カレーミュージアムに出店しています。麺がうまい。
3.みとう    根津にあるそばや、蕎麦屋のカレーうどんでは最高。
4.竹や     御茶ノ水から聖橋を渡ったところ、細い麺がつややかでおいしい。
5.千吉     渋谷、表参道にある吉野家のチェーン店、何と言っても最後の雑炊です。
6.野らぼー(神保町)、7.中川屋(本駒込)、8.富貴堂(藤沢)、9.若鯱屋(汐留)、10、かどや(市ヶ谷)
ということで独断で選んでみました。

つぎの組み合わせメニュー第2弾は「親子丼」です。またレポートします。

2006年9月 3日

シネマと書店とスタジアム

「シネマと書店とスタジアム」は、沢木耕太郎が2002年に書いた本の題名で映画と読書とスポーツの三つの楽しみについてのコラム集です。

この本が出てから「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれると、「シネマと書店とスタジアムです」と答えるようにしている。実際にも映画大好きですし、本を読むことスポーツ観戦も大きな楽しみです。このブログでもそのことについて書いていこうと思っています。

ところが、しばらく前にUさんという著名なITアナリストと呑んでいたら、趣味はと聞かれたのでこの話をしたら、「私はこれらをみな実際に自分でやっていますよ」と言われてしまった。どういうことかと言うと、Uさんはある自主映画に役者として出演していて、それに自分で書いた本が何冊か出版されているし、今もサッカー選手として試合に出ているというわけなんです。それからすぐに話題を変えたのは言うまでもない。

世の中には、何でもひと並み以上にできてしまうひとがいるんですね。Uさんは歌を唄わせれば玄人はだしだし、男前だし、いつかそのUさんの弱みを絶対に見つけてやろうと思っている。

でも、最近考えてみると「実践・シネマと書店とスタジアム」はそんな難しい話ではなくなってきているような気がします。デジタルビデオや携帯で撮った動画を編集し映画みたいに作っているひとが一杯でてきたし、ブログはある種の本の執筆ですしスポーツも例えばサッカーでいったらデパートの屋上にフットサル場ができるように気軽にやってみようという状況になってきている。

特に若いひとにはぜひ「実践・シネマと書店とスタジアム」を人生の楽しみに加えることを薦めます。それから歳をとってきたら見たり、読んだりする側に回るというのもいいものです。

2006年9月 5日

企業情報システムの課題

ここ10数年企業における情報化に携わってきたが、結局根本的な問題の解決ができていないように思えます。それは何かというと経営や事業に貢献できるシステムができていないということです。

実はこう言うけれど定量的に費用対効果における効果が計測できないので何となく経営者やユーザが満足していないよなという感じなのかもしれません。ただそう感じているひとは多いことも確かです。究極的には、成果報酬型ならいいのでしょうが、この場合は、最初の経営改革や業務プロセス改革のフェーズから入らなくてはいけないし、トータルシステムとしてのパフォーマンスを見なくてはいけないので、おのずとこんなことができるベダーが限られてくる、というよりIBMくらいしかできないし、さらにそんなやり方を頼めるユーザ、もっと言えば経営者は非常に少ないと思います。

となると、経営者やエンドユーザがまあまあ満足できる効果的な企業情報システムを現実的なアプローチでどう構築するかを真剣に考えていかなくてはなりません。といって、それではそこのところを一体誰が考えるのだろうか、まずはここがこれまでの問題の重要なポイントなのです。これまで、往々にしてメーカ、ベンダーにおまかせのやり方だったのではないでしょうか。本来の姿であるユーザ主導のシステム構築にしていかないと、いつまでたっても使われないシステムが蔓延することになります。最近はこうした問題に危機感をもった人たちが、いろいろ発言し行動もしてくれて、例えばEAが策定されガイドラインも示されてだいぶよくはなったきていますが、まだ課題は多くあるような気がします。

そこでこれから、ユーザが主体となって自分たちの情報システムを自分たちの手で構築・運用していくにはどうしたらよいかを考えていきましょう。これは実は小泉さんではないが「構造改革」ということなのです。ただし小泉さんの言う「構造改革」とは違います。というのは「構造改革」というなら前提としての「構造化された構造」があってそれを変えていくというのが改革だと思うのですが、小泉さんは改革のターゲットあるいは社会全体の仕組みを構造化してちゃんとそれをわかりやすく説明しないで、ただ壊せばいいというようになってしまったように思えます。

ですから、まずやるべきことである企業情報システムの構造化をちゃんと行い、そこで
明らかになった問題点をどう解決していくのかという議論になるのではないでしょうか。

そんなすぐにできるか

アジアカップ予選でサッカー日本代表がサウジに負け、イエメンに辛勝した。ジーコからオシムに替わって3戦目と4戦目である。まだ、たった4戦である。それに対して、オシムの戦術が理解されていないだとか、走りきれていないとかいう声も聞こえてくる。そりゃ無理でしょ。しかもつい今回のメンバーはジーコのときから大幅に入れ替わったと錯覚していると思う。実は、先発メンバーでみるとほとんど変わっていないのです。ですから、オシム流になじむのは結構時間がかかるのはしょうがないのです。むしろ、サウジ戦の前半15分とイエメン戦の後半15分の戦い方をみたら、かなり進歩したと思うのだ。だって、坪井がオフサイドになったけど流れのなかでシュートを打つんだぜ。

そんなわけでもう少しおおらかな気持ちで見守っていきましょう。マスコミも分かってもいないくせに戦術の批判をするのはやめましょう。交代選手の選択に口をはさむのはやめましょう。

ただ、オシムの到達点はもっとはるか上に設定しているから、これから選手は大変ですよ。たとえば、今回の戦術がヨーロッパの国に通用するかといったら違うわけだから、相手によって柔軟に対応できる頭のよさを要求されるのです。このとき大事なのは全く変えるのではなく、芯になるものは残し、芯の外側の部分を変えていくという作業になる。オシムはこの芯のことを”日本人が本来もつ力、日本らしさ”と言っているのだ。

2006年9月16日

怒られることも味付けか

おととい元の会社の仲間2人とかの有名な「福竹」に行ってきました。この仲間とは、在社のときから時々面白いものを食べにいったり、うまい酒が呑める居酒屋に行ったりしています。なかなか、ユニークなところでは、ウズベキスタン料理の「ザムザム」やチベット料理の「レッサムフィリリ」があります。

ウズベキスタン料理屋なんて日本にあると思いますか。きっかけは、知り合いのひとがJICAのシニアボランティアでウズベキスタンに行っていて、そのひとのブログを読んでいるうちにウズベキスタン料理を日本で食べられないかと思って、どうせ無理だと思いつつ調べたらなんとあったのです。日暮里の駅から行くと谷中銀座の階段の手前のところにあるんだけど、びっくりしたなあ。それで早速行ってみたのだけど、まあ楽しめるところですよ。料理も酒もいいのだけど、途中のベリーダンス(残念ながら日本人のダンサーです)や最後の水タバコが吸えたりといたエンタテインメント性があり (店をしきっているアリ君というのがトルコの吉本芸人みたいヤツで面白いよ)会社の小グループ忘年会などにいいんじゃないかな。

で「福竹」ですが、蒲田から東急池上線一駅目の蓮沼という駅からすぐのところにあるお好み焼き屋さんです。どうして知ったかというと、銀座にあるぼくの行きつけの店の常連客のNさんとそこの女性バーテンダーのかおりちゃんにぜひ食べるように言われたのです。ここのお好み焼きを食べると、お好み焼きの概念が変わるとまで言われたので絶対に行かなくてはということで勇躍一昨日その店に行ったのです。

この店は実はその味もさることながら、おかみさんのキャラクターも売りなのです。お客さんへの食べさせ方と言ったほうがいいのかもしれません。まずはびっくりするのは客は何もしてはいけないのです。何かしようとしたり、えらそうなことを言うと怒られてしまいます。おかみさんが一切を仕切り焼き上げてくれます。まあ、お客が唯一やることは時計をみてて時間がきたらおかみさんに知らせることぐらいかな。そもそもおかみさん曰く、お客に勝手に料理させておくのがおかしい、せっかくいい食材を用意してもうまく焼く術を知らない素人だとその良さを消してしまうのだから、この私が全部やってあげるのが店の責任なのだそうだ。

お好み焼きそのものだけではなくお好み焼き屋の概念も変わった。ぼくは前々から、お好焼き屋と焼肉屋はどうも腑に落ちないところがあって、特にお好み焼きやの材料だけもってきて、ハイどうぞという無責任さは無精者にとっては怒ってしまうので大いに共感してしまいました。そんな話から始まっておかみさんは延々としゃべり続けるのであった。ぼくは思わず”おんな明石やさんま”叫んだら、うれしそうな顔をしていたからおしゃべりに誇りを持っているようでした。

出来上がったお好み焼きは、ホントうまいです。それ以外にもいっぱいあるけどぼくは特にはんぺんが素晴らしい。ということであっという間に時間がたちほろ酔いかげんのおなかいっぱいで店をあとにしました。

おばちゃんに怒られながら呑むのもちょっと快感です。以前門前仲町の「魚三」でさんざん怒られて呑んだ記憶がよみがえり、これからのツアーは「おばさん怒られ呑み会」になりました。

モデリングって何?

きのう「モデリングフォーラム2006」に行ってきました。このフォーラムは2日間にわたって行なわれ、その2日間とも出席を予定していたのですが、新会社の商談なんかがあって2日目の午後しか参加できなかった。そんなことなのであまりえらそうなことは言えないのだけれど、どうも焦点がぼけている感じは否めなかった。おそらく、トラックが多すぎて講師も集めるのも大変だったろうし、なにを言いたいのかぼやけて、セミナなの質が低下してしまいますよね。

そのなかでもというか最後の最後に(株)メタジトリーの丸山さんのプレゼンで救われたような気がします。要するに、経営に貢献できるためにはビジネスプロセスを可視化して組織の規模や成熟度に応じて段階的に進めていくことが大事だと言っています。丸山さんとは旧知の間なのですが、実践的な話や段階的アプローチなどの提示はわかりやすくなっていて好感がもてました。でも丸山さん最後のアニメはいらなかったんじゃない。

というわけで日本BPM協会の活動を興味をもって見ています。

2006年9月19日

うれしいお祝い

ぼくの友達にもうかれこれ8年以上の付き合いになるIBMの渡辺さんというのがいる。本来彼は営業だからぼくはお客さんという立場の関係でしたが、いまはぼくは会社を辞めたので友達という関係になった。友達といってもぼくよりだいぶ年下です。しかし、実は会社にいたときも友達だったのです。やめる直前こそ一緒に仕事をしましたが、それまでは取引ゼロでいて、ときどき呑み歩いているという商売抜きの不思議な関係でした。

その渡辺さんが突然わが家にやってきました。創業したと聞いてお祝いを持ってきてくれたのです。このブログでは創業のことを書いていませんが、ついこの間、上の息子がまずIT関連の会社を起業しました。ぼくもいずれ参画するつもりですが、いまは充電期間です。そんなわけで厳密に言うとぼくが創業したわけではないのでお祝いをもらうのはおかしいのかしれませんが、そこはそれいいじゃないですか、家の直前から電話してきて”今いますか?目の前に来ているんですけど”といって現れたときにはびっくりしながら、うれしかったのです。

お祝いの品が、赤ワインです。おしゃれでしょ。それも、ナパバレーのOPUS ONEというワイナリーでしか手に入らない「OVERTURE」というしろもので、渡辺さん曰く、OVERTUREというのは「序曲」という意味なので創業のお祝いにちょうどいいと思ったから。ちょっときざだけど、わー泣かせるせりふ。すばらしいお祝いありがとうございます。

2006年9月21日

エンタープライズWeb2.0の動向

こんなタイトルのセミナがあり、社長といっしょに出かけてみました。当初の定員は80名だったのが申し込み者多数のため急遽200名に増やしたそうです。まあ今はやりのWeb2.0という言葉につられて行った人もたくさんいたと思う。目的は、Web2.0の技術を使った開発ツールの売り込みなんだけど、一応元ガートナの栗原潔さんがWeb2.0の概説してくれたのだが、結局”かゆい”感じで終わった。栗原さんも言っていたけどWeb2.0というだけでは範囲が広過ぎて議論が散漫になるので、どこの領域の話なのかを明確にする必要があり、栗原さんは、ビジネスモデル、ビジネスプロセス、テクノロジーの三つに分けていた。

それでこのセミナを振り返ってみると、どうもテクノロジーのことを言っていたようだ。最後に講演していたCoach Wei というアメリカのWeb2.0開発ツールベンダーの社長の話もアメリカITの得意の体系化と造語で翻弄していましたが、主要な論点はWeb2.0のテクノロジーを使って開発を早くしますよということのようだ。また日本のベンダーのデモも見せてもらったが、これがまた既存のシステムと遜色のないユーザビリティでできますよというものでした。エンタープライズWeb2.0ってそういう局面もあるかもしれませんが、もっとビジネスプロセスやビジネスモデルに近いところでどうなるのかが知りたいのではないだろうか。

Web2.0の上にエンタープライズを冠するなら、例えば、SNSみたいな仕組みで企業内情報交換がありなのか、RSSを使って経営者から押し込み型の情報提供をすると効果があるのかといった、従来と違ったインタラクティブ・プロセスを導入するという視点がより求められているのではないだろうか。

ブログの威力

「エンタープライズWeb2.0の動向」というセミナが終わったあと、日本プロセス(株)の宇野澤庸弘さんと(株)レンタルコーチの中村洋さんと3人で会食。なぜこの組合わせになったかというと、”やっぱりブログってすごいや”ということなんです。

今年の6月に会社を辞めて、いつか起業しようと考えていましたが、そのための情報を得ようとインターネットで最近起業したひと、とく自分と同じように定年前に実行したひとを中心に見て回りました。そこで非常に参考になったのが、昨年末に起業した中村さんのブログで、そこではほぼリアルタイムで起業のプロセスを伝えてくれていて、業種も同じようなところであったのでなおさら参考になりました。

ところが、そのブログを見ていると宇野澤さんの名前が出てきたのです。宇野澤さんというのはSAVVIONというBPMツールを販売していて、日本にBPMを浸透させるべく、ブログも立ち上げ、今年はじめには「日本BPM協会」の設立に尽力され今もその運営幹事を務めているかたです。実は宇野澤さんとは10年前にお会いしてからずっとお付き合いいいただいていて、いつも日本のIT業界の実情を嘆いたりしている仲なのです。それで、すぐに宇野澤さんにブログのことを話して、知り合いなら紹介してよということを伝えたら、よく知っているから会いましょうとなったわけです。

そこで会ったわけですが、まず初対面という意識がなくて、”やあ、しばらく”みたいな不思議な感覚でした。これ多分mixiで知り合ったひとが実際にあったときの感じと一緒じゃないかな。中村さんも言っていたけれど、ブログがなかったらこんな出会いはなかったんじゃないか、梅田望夫さんが言っている総表現主義ということなのかもしれませんが、自分が発信すれば誰かが見てくれているんだという実感を持ったと言っていました。

ということで時間がたつのも忘れて大いに盛り上がり、今後の協業や近いうちの再会を約したのであります。

2006年9月23日

柳家小里んを知っていますか

池袋演芸場で柳家小里んの独演会があった。演目は「首提灯」と「子別れ」。両方とも面白かったが、人情噺の「子別れ」がよかった。味がでてきていい感じになってきた。小里んさんは年2回の独演会と東西三人の会といって、笑福亭松喬さん、古今亭 志ん橋さんと一緒の落語会をやっていて、ぼくはだいたい行くことにしている。柳家小里んはかの有名な5代目小さんの弟子で小せんや小三治、今度6代目小さんを襲名した三語楼(5代目小さんの実子)らの弟弟子にあたる。風貌が先代小さんに似ていて小さんの弟子以外なにものでもないと思える。

実は、ぼくは小里ん師匠(呼び方がだんだん変わってくる)とたまにですが、行きつけの店で隣あわせで呑むことがある。ぼくは基本的にはひとりで呑むことにしているが、師匠もひとりでやって来る。歳もほぼ一緒くらいなので(師匠が一つ上)、けっこう話が合って、いつも楽しいお酒になります。落語もブームみたいでけっこうお客さん来るようになって喜んでいましたが、特に若いひとが増えてくるのはいいのだけど、「長瀬君はいつ出てくるの」と言われてびっくりしたという落語のような話もしてくれます。

よく世の中狭いなあと言いますが、この店でもおもしろいことがあって、あるとき2~3回くらい一緒になったひとでHさんというかなり高齢のかたがいて、何回目かに世間話をしていたとき住んでいる場所の話になったんですが、何とそのひとはぼくのうちから200mくらいしか離れていないところに住んでいたのです。まあ、こんな話や何回か一緒に呑んでいたんだけど実は同級生だったということがあとで判明したといったたぐいの話も聞くことがあります。

さて、小里ん師匠のことですが、あるとき小さんの剣道の話になって、5代目小さんは北辰一刀流剣道7段の腕前なので弟子には剣道を習わせたということや小さんの剣道の先生に鈴木先生という師範がいたなどの話題となった。そこで、世の中狭いなあという話です。

ぼくは、昔サッカーをやっていて、高校生のときの顧問の先生が鈴木中先生といって少し前まで神奈川県のサッカー協会長をやられた方で、このあいだのドイツのワールドカップも自分でツアーを組んで行ってしまうほど元気な方なのですが、その先生のお父さんがかの鈴木師範だったのです。ということで、小里ん師匠とぼくは同じ鈴木先生の孫弟子にあたるということがわかったわけです。もちろんさらに酒が進んだのは言うまでもありません。

追っかけではありませんが、これからも柳家小里んの落語を見守って行こうと思います。よく、志ん朝と同時代に生きられて幸せだったとか言うように、確かに落語というのはあとでCDで聞くこともできますが、リアルタイムに高座を見て聞かないとほんとうのよさはわかりません。誰か好きなあるいはこだわる落語家をみつけその噺家を軸に落語全体をみていくというのも悪くないと思うのでお薦めです。

2006年9月30日

最後の落語

いままで忙しくてほったらかしたままで気になってしかたなかった自分の部屋の本棚の整理を始めた。ぼくはだいたい本にカバーをかけて読むので、読んでいる途中のものはもちろんのこと読み終わったあともカバーをつけたまま積んでおくことになる。だから、どんな本が置いてあるのかわからなくなってしまっていた。そこで、全部カバーを外して並べてみたわけです。

そうしたら、へえーこんな本があったんだ、あっこれはおもしろかったなあという具合にしばし片付けるどころではなくなり、いろいろな本をぺらぺらめくり出したが、ある一冊の本が目にとまり読みふけってしまった。永井明著の「ただ、ふらふらと 酔いどれドクター最後の日誌」で、前回柳家小里ん師匠のことを書いたあとだったので、特に印象深く思い出した。

そこで今からあまり知られていない永井明と柳家小里んにまつわる「ちょっといい話」を書く。 

永井明は一昨年の七夕の日に56歳の若さで亡くなったが、「ぼくが医者をやめた理由」という本をはじめとして、医者と患者に関係する本を出し、またスローライフを薦め、自らも実践したひとです。若いひとはテレビドラマにもなったビッグコミックの「医龍」の原案を書いたひとといったほうがわかるかもしれません。実はこの永井先生はぼくの行きつけの店の常連さんだったのです。もうだいぶ前になりますが、その店に行き出してすぐの頃、そこのマスターの奥さんから”Asahi.com”のコラムに永井明がその店のことを書いているので読んでと言ってそのコピーを見せてくれた。正直言ってぼくはそれまで永井明という名前は、本屋の文庫棚に置いてあるのを見た程度で何も知らないに等しかった。

でさっそく「ぼくが医者をやめた理由」を買ってきて読んだのですが、あるとき読みかけの本を持って店で呑んでいたら永井明がひとりで入ってきたのです。すかさず、持っていた本にサインしてもらい、少し酔っていたせいで読んだ感想をえらそうに言って苦笑させてしまいました。それが、永井明との最初の出会いです。

それからの永井先生のことはまた別の機会に譲るとして、さてちょっといい話のことです。

永井先生は、肝臓ガンで亡くなられたのですが、入院や延命治療もせず、亡くなられる少し前もさすがにあまり呑めませんでしたが普段通り呑みに来ていたし、医者でありながら(いや医者をやめたからなのかもしれませんが)医療を拒否し天命を全うする姿に非常に感動しました。この話はすごくいい話で、ちょっといい話はこれからです。

先生がもう命の火が消えそうだというときに、最後に落語聴きたいと言ったそうです。先生は落語が好きで船医をしているときは船の上で落語のCDを聞きながら一杯呑むのが楽しいと語っていたし、落語会で姿を見かけることもありました。聞きたい落語はもちろん柳家小里んの噺です。永井先生と小里ん師匠は同じ店での呑み仲間で友達なのです。付き添っていたマスターの井上さんがすぐに小里ん師匠に連絡をとったのですが、あいにく北海道かどこか遠くにいたんです。師匠はすぐに戻ることにし、さてもうすぐ臨終というひとの枕もとで一体どんな噺をすればよいのか。やっと間に合って帰ってきて思い切って噺を始めました。

それは「親子酒」でした。”もうむちゃくちゃにぎやかなものにしようと思って” あとで小里ん師匠が井上さんに語ったそうです。それからしばらくして亡くなったのです。

もう2年以上も経ってしまったが、いまでも静かにギムレットを呑む永井先生の姿が目に浮かんできます。

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