2010年09月03日

オヤコ定例吞み会(9月)

7月に行こうとしたあなご屋が満員で入れなかったのでそのリベンジで日本橋室町の「玉ゐ」にする。今回は周到に予約を入れておいた。ここは建物が、築百年前後ということで趣のあるたたずまいである。

あなごの盛期は夏なのでお客さんも一杯である。あなご専門店だから、あなごずくしは当然として、“あなご酒”というものもあったのには驚いた。これは、ちょうどふぐ酒と同じように一夜干しの切り身をあぶったやつを入れ、火をつけてアルコールを飛ばしてから呑むのである。ふぐ寄りはおとなしいがこれがなかなかうまい。

食べたのは、煮あなごのつまみとにぎり、だし巻き玉子、あなご串揚げ、穴子かま肉串焼きである。どれもふわふあとした食感が口の中にひろがる。普段食べるあなごは寿司かせいぜい白焼きがほとんどだと思うがそれはどこかぷりぷりした感じがするが、ここのはそうではないので別の食べ物を食べている気になる。

下の息子とのここでの会話は、職場で重宝がられて使われるばかりだというため息と、夏休みに北海道に行った話が中心となる。北海道には弘前まで深夜バスで行ってそこから鉄道を使い、一日は大学のサークルの後輩にレンタカーを運転してもらい積丹まで行ったという。近頃“鉄っちゃん”の仲間に入りつつあるようだ。

さらに意外なことに来年の冬にマラソンを走ると言いだした。3月に香港のマラソン大会に出場する予定だという。どうも、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」に刺激を受けたようだ。この本は、上の息子も気にいっていて、ぼくに読むように進めてくれたのである。そして、下の息子もこうして同じように走ることの素晴らしさをぼくに語ってくれた。

たっぷり酒と料理を堪能して、お決まりの銀座「M」へ向かうことに。そうしたら下の息子がおみやげを持っていくという。あなごの一夜干しが真空パックに入ったものを下げている。いつも、自炊している息子のために「M」のママが食べ物を差し入れしてくれるのでその御礼なのである。

そして、「M」に着くと、息子が“日本橋であなごを食べて、おみやげを持って銀座で呑む26歳はおれだけだろうな”と言って受けていた。ということで与太話に花が咲いて、いつものようにそーめんやらパスタやらをもらっていたのである。


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2010年09月02日

「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト

前著「はじめての課長の教科書」で評価が高かった酒井穣の「「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト」(光文社新書)を読む。著者は、フリービットという会社の人事と経営企画のリーダーである。

その会社における人材育成のプログラムやノウハウを開示しているのである。非常に理路正しくまとめているので参考になる。その章立てをみればそのあたりがわかると思う。

第1章 何ために育てるのか(人材育成の目的)
第2章 誰を育てるのか(育成ターゲットの選定)
第3章 いつ育てるのか(タイミングを外さない育成)
第4章 どうやって育てるのか(育成プログラムの設計思想)
第5章 誰が育てるのか(人材育成の責任)
第6章 教育効果をどのように測定するのか
第7章 育成プログラムの具体例

簡単に言うと5章までが順番にWhy、What(Whom)、When、How、Who の4W1Hなんですね。(Whereはこれを適用する部署と考えたら5W1Hですね)

人材育成というとすぐに研修だとかOJTだとか言うのでですが、著者はもはやそう言う時代は終わったと言っています。一方的に押しこむような研修ではなく、人材の現場の放置であるOJTではなくもっと違ったアプローチが必要なのである。

では、これからはどうしたらいいのかになるが、その時大事なのどんな人に対しても同じような育成の仕方ではダメだということである。よくあるまちがいは、こうしてスキルもコンピテンシーも性格もちがう人間を一同で研修してしまうことである。

そこで、どうやったらいいかについて、著者は多く4象限で表す図を書いて説明してくれるのでこれが、理解の助けになる。例えば、横軸に受け身的な人か自発的なひとかという評価軸をもってきます。また縦軸には、座学としての知識を持っている人ともう一方で経験値が高い人がいます。これらのマトリクスをみて、それぞれの象限でその育成プログラムが違ってくるのがわかると思います。

すなわち、自発の経験、自発の座学、受身の経験、受身の座学というわけである。このうち、受身の座学というのは受験があるからという理由で勉強したというケースで、自発の経験というのは典型は部活です。自発の座学と受身の経験はどちらとも言えないようで、どちらも重要でしょうとなっている。

これは一例ですが、このようなことが多くでてきておもしろいので人材育成を考えていらっしゃる方には一読を勧めます。ところで、そんな立場とはほど遠いぼくがこんな本を読んでみたのは、日常のどんな場で人は育っていくのかということが知りたかったからである。その問いに対してはけっこうヒントになった。
  

「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)
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  • 酒井穣
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2010年09月01日

間違いだらけの業務システム開発(開発篇その1)

自動プログラミングは有効である

通常、業務システムの開発というと最終的には、プログラマーを配置してプログラム仕様書に従ってせっせとコードを書くことが行われます。このシリーズ初めの方でも、「開発プロジェクトではコードを書く」というのが間違っていると指摘していて、コードを書かないようにすることが重要だと言いました。

ところが、一方でプログラミングを自動化すればコードを書いてもいいのではないかという議論があります。というか、コードを書くという前提でその生産性をあげるために何とか自動化したいという思いがあり、現にそういうツールも出てきています。

これは正しい方向でしょうか。それを考える時に、いつ、どこの部分でコードを書くのかをみてみましょう。今の開発プロジェクトだと要件定義して仕様におとして、最後にプログラミングをします。詳細な機能レベルも記述したりします。

こうした、細かな機能レベルのものは予めコードを書いてモジュール化、部品化しておいたらどうなるでしょうか。そして、プロジェクトに入ったらそれらの部品を組み上げることにしたら、そこではコードを書かないですむことになります。

もし、こうしたことができたら、プログラムの自動生成というのはどういうことになるのでしょうか。自動化の意味がなくなるのです。なぜなら、自動化をする必要性は同じようなコードを繰り返し書くからで、言い換えると、パターン化できるから自動化が可能になるわけです。だとしたら、パターン化できるのならそれらを部品化してしまえばいいことになる。

そうなると、その部品を作るのにコードを書くことになります。ここはプログラミングしなくてはいけません。ところが、このプログラミングは一回でいいのです。ですから、ここはじっくりとスーパープログラマーにきれいなコードを書いてもらおうじゃありませんか。

いまのアプリケーションのコードを覗いてみたらいいと思いますが、ほとんどが個人の癖の入ったきたない、あとで読めないしろものではないでしょうか。たとえ、自動化したところで、自動化のアルゴリズムは汎用性を持たすために質はそう高くないと思われるので、同じような話ではないかと思います。

結局、スキルの高いプログラマーにシンプルできれいなコードで部品を作ってもらい、それを要求に従って組み上げることでアプリケーションを構築するのが、開発効率、そして保守性も向上させることができるのです。ということでプログラミングの自動化を指向するのは間違っていると思うのですがいかがでしょうか。
  

2010年08月31日

瞳の奥の秘密

これはまぎれもなく傑作だ。第82回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したアルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」である。平日の午後3時半からの上映というのに3時前に窓口で入場券を買おうとしたらもう数席しかりありませんという。前から2列目の端の方の席をやっと確保する。

口コミで良さが伝わってのことだと思うが、期待にたがわずずっとスクリーンに引き込まれてあっという間の2時間ちょっとであった。何がそうした評価になっているかというと、全体の構成から、時間と場所の出し入れ、細部の描き方の丁寧さ、意外性、ハラハラドキドキ感、ユーモアなどなど多くの要素を無駄なく見事に収めてあることだと思う。

主人公は、刑事裁判者に勤めるベンハミンという名の男で、定年を迎えてやめるのだが、25年前のある事件を題材に小説を書こうとする。それを元の女性の上司イレーネに見せながら、その過去の事件へとシーンが移っていく。

この事件のいきさつを縦糸に、イレーネとの愛を横糸にそれぞれが交錯しつつ物語が進んでいく。その事件は、新婚早々の女性が自宅で乱暴されて殺されるが、犯人をでっちあげて事件の終息を図ろうとすることに疑問をもった主人公が真犯人を追いつめていく。

この流れが、ストーリーの中核を占めているが、そこに殺された女性の夫がずっと真犯人を捜すために駅に通い詰める姿や、いつも酔っぱらっている主人公の同僚の味のある存在感などがちりばめられる。

そして、最後の衝撃的なラストにつながる伏線が仕掛けられている。こうした肝の仕掛けもさることながら、ディテールにも仕掛けがほどかされていて、例えばタイプライターのAという文字が壊れていて打てないというセリフが何度もでてくるが、それもちゃんと意味のあることだったとあとでわかるのだ。

そして、横糸の主人公のベンハミンとイレーネが25年の歳月を経て、一方で事件のことは忘れようという心理とは違い、忘れられない、いや忘れたくない思いを貫くのだ。ここで観客は救われる思いがするのである。

いま言った衝撃的なラストについて書きたい衝動にかられている。非常に重く根源的なことなので言いたいことがあるのだが、しかし、ネタバレになるのでやめておこう。いやあ、実に多くのことを考えさせられる映画であった。久々の星5つですのでぜひ観てください。
  

2010年08月30日

間違いだらけの業務システム開発(構造・機能篇その2)

業務は各社様々なのでパターン化、共通化、標準化できない

この表現も間違っているともいえるし正しいともいえる。業務の粒度、プロセスのレベルによって違うということである。どういうことかというと、業務プロセスの固有性はどんなところに現れるかということに関連している。つまり、固有性が出てくるようなところではパターン化、共通化、標準化は難しいが、そうでないところでは可能であるということです。

その辺をもう少し考えてみましょう。固有性というものはいったい何でしょうか。それはいい意味でも悪い意味でもあります。ただ、悪い意味での固有性はその会社にとって弊害になりますし、そんなものをパターン化しても始まらないわけで、これは除外しましょう。いい意味での固有性を考えます。

いい意味の固有性は、別の言い方をすると差別化要素であり競争優位の源泉であるわけです。そう考えると、各プロセスレベルでありそうですね。まずは、上流では戦略こそそれにあたります。この戦略はまだ文脈的ですから、それをもう少しロジカルなものに落とし込んだビジネスモデルが、差別化のための固有性を発現しています。

一方、下流に降りてくるとどうでしょうか。そうなると、業務を行っている個人的なレベルになってきます。すなわち、最終的な業務処理における従業員個々人のスキルや意欲であったり、組織の文化・風土であったり、取引先との関係性だったりが、その会社の固有性を発揮することになります。

ところで、この両者の間には何があるのでしょうか。それは業務プロセスです。正確に言うと、狭義の業務プロセス、すなわち比較的抽象度の高いレベルでのプロセスフロー構造とそのオペレーションではないでしょうか。ここの部分はおそらくどんな会社でも基本的には同じことをやっていると思うのです。

ここで、狭義の業務プロセスと言いましたが、では広義の業務プロセスは何が拡張要素何のでしょうか。それは、ルールマネジメント、リソース管理、ロール設定などです。いまあげたようなことは、重要な機能ですが、そうした機能があるのかどうかというより、具体的な値をどこに設定しているかといったところに差別化要素が入り込みます。ですから、狭義の意味にしたわけです。

ということで、狭義の業務プロセスは、会社や業種が違ってもパターン化、共通化、標準化できると考えています。ここがなかなか理解してもらえないところで、うちの業務プロセスは特殊だと言われたりします。こういう場合は、いったいどこが特殊なのかレベルを分けて吟味したほうがよさそうですね。

こういうところに業務プロセスを書いてもらうと、あっちへ行ったりこっちへ行ったりの複雑で冗長的なフローを書くものです。ぜひ、パターン化、共通化、標準化できるレベルがあって、それができると、このプロセスを核として、上流の差異、下流でのこだわりを付加するというアプローチがとれ、わかりやすい構造になるというのをわかってほしいと思うのです。
  

2010年08月29日

ネパール&チベット料理

一昨日は、以前BPP研究会でいっしょだったY君とネパール料理を食べながら近況報告と意見交換を行う。店は「レッサムフィリリ」といって泉岳寺の近くにあるネパール&チベット料理店である。ここは、ずっと前にぼくがチベット料理を食べたくて探したところである。都内に4,5軒あるうちの一軒である。

なぜ、ネパール料理かというと、Y君が去年仕事でネパールに行っていたということを聞いていたからである。昨日その話を聞いたら、どうもネパール人にシステム開発のやり方を教えてきたらしい。驚きますよね。インドならわかりますがネパールとは。

よく聞くと、ネパール人の技術スキルはけっこう高いとのこと、そのうちアウトソーシング先はネパールということになるかもしれない。しかしながら、最大の懸念は政治だという。昨今の政情の不安定さはビジネス機会などへの悪影響が大きいらしい。どこの国でも通る近代化への道のりかもしれない。

料理は、カレー料理や、小籠包に似たモモ、ラムをミンチにしたものなどを頼む。酒はビールとお米で作ったどぶろくみたいなチャンを飲む。料理はスパイシーな味でなかなかうまい。そんなにくせがないので日本人でもおいしく食べられるはずだ。

Y君には、「Kailas」を見てもらって意見をもらう。いまはデータのモデリングだとかDB設計などを中心にやっているというので、データとプロセスについての議論となる。これは、どちらかがいいとか悪いとかではなく、両方とも大事で、その重要性が現れる領域が違ったりするのでそこの見極めみたいなことをちゃんとしなくてはいけないといった話になる。

こうして親子ほど年齢が違う若い人と二人で呑みながら議論をしているのを周りからみたら変な光景かもしれない。でも、昨日もずけずけ意見を言ってくれるのですごく参考になってあらたな発見もあり楽しかった。彼が忙しさから解放される秋からいっしょに方法論のまとめのようなことをやってくれそうなのでうれしかった。

その後は、久しぶりに銀座の「M」に立ち寄る。話題は世界の料理で、珍しい国の珍しい料理の話題で盛り上がる。ぼくが、昔中国の頤和園の料亭で食べた鯉料理の話をする。生きたまま軽く唐揚げにして出されるが、まだ生きていて皿の上で動くわけで、大やけどを負った魚に箸をいれるのが残酷だったと言ったら、すかさず、マスターが“こいこがれて”いるんだねと言って大笑い。

それから、皮肉っぽくイギリス料理店ってあるのだろうかということから、日本にはどんな国の料理店があるのかという話になって、女性バーテンダーのKちゃんが、世界地図にマッピングしたらおもしろいねと言っていた。そうしたら、そう言うサイトがあったのだ。e-food.jp というサイトでそこによると、東京圏内で料理を食べられる国は、世界70ヶ国+68地方以上だそうだ。世界一周でもしてみるかな。
  

2010年08月28日

Twib!をリニューアル

ちょうど1年前に公開した「Twib!」をリニューアルしました。「Twib!」というのは、「Twitterホットエントリー」というもので、Twitter上でつぶやかれたURLを集めて、人気順に並べるものです。それを今回新しい機能を追加して、ユーザインターフェースも手直してリリースしました。主な改善点は次のとおりです。

1. インターフェースデザイン刷新
2. バズワード機能の追加
3. 「今、影響力のあるユーザー」表示
4. 100以上のサービスのエンベッド(埋め込み表示)に対応
5. Twitterで特徴的な「写真」「動画」「ライブ」のカテゴリ分け
6. RSS出力の改善により自社ドメインの影響力を図れるように
7. クローラーの修正

詳しくは、「ゆーすけべー日記」をみてください。


最近は、Twitterの影響力が増しているので、このサービスがひょっとするといろいろなところで使われるかもしれない。ネット上でもけっこう反応があり、Yahooニュースでも書かれましたし、他でもとりあげてもらっています。もしよかったら使ってみてください。

http://japan.internet.com/busnews/20100827/4.html
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/08/27/054/
http://www.oshiete-kun.net/archives/2010/08/twittertwib.html
  

2010年08月27日

情シス若手勉強会

来月から、標記のタイトルで勉強会をすることになりました。主催は日本BPM協会で、毎月1回、計6回開催し、ぼくがその勉強会のリーダを務めます。

BPM(Business Process Management)というのは、注目はされているみたいですが、いまいち普及していないというのが現状ではないでしょうか。その理由は、いろいろあるかと思いますが、まだユーザの方々の認知度というか、有効性の実感というか、ほんとうにビジネスの役に立つものなのかがつかみ切れていないことがあるように思います。

このBPMという考え方はいくらベンダーやSIerがいいものだと唱えてもユーザがその気にならないことには始まりません。従来のようにソフトウアやパッケージを導入してそれを使いましょうというわけにはいきません。ユーザ自身が自分たちの業務プロセスを設計できなくてはならないからです。

すなわち、ビジネスの要求をきちんとITにつなぐことが重要になってくるわけで、じゃあそれは誰がやることなのだとなってきます。それは、組織的にも立ち位置的にも適任なのが、企業の情報システム部門や情報子会社の人たちです。

こうした部門は、いままでは、業務のことは現業部門、ITのことはベンダーにとられ、単なるメッセンジャーボーイ的な役割かあるいは日常の保守運用部隊でしかなくて忸怩たる思いをしていた人もいたと思います。そうなのです。ついに活躍の場が与えられたのです。

ビジネスとITの橋渡しこそ情シス部門や情報子会社の存在感を発揮する絶好の機会なのです。そのためには、どうしたらいいのか、どんなスキルをつけたらいいのかを真剣に考えなくてはいけないのです。

ということで、頭の柔らかい35歳以下の若手エンジニアの方々を相手に大いに議論していこうと思っています。興味のある方はぜひ下記サイトから申し込んでみてください。

日本BPM協会「情シス若手勉強会申し込み」
  

2010年08月26日

日本人へ 国家と歴史篇

塩野七生の「日本人へ リーダ篇」に続いての「日本人へ 国家と歴史篇」(文春新書)である。タイトルのように前著はリーダについてで、この本は国家と歴史についてであるが、そこは明確に分けられるものでもなく、同じようにローマ時代を中心とした歴史と照らし合わせて現代を見ている。

のっけに後継人事についてというのがでてきてこれがおもしろい。歴史上、最高の後継人事だと著者が言うのが、イエス・キリストから、ペテロへ、そしてユリウス・カエサルからアウグストゥスへのバトンタッチだという。

この二つの後継で共通するものは何でしょう。それは、性格から資質から何から何までちがう、二人の男の間で成されたバトンタッチだったということである。イエスもカエサルも一代を築いた革命家であるから、ある意味激しいが、それをついだペテロにしてもむしろ純朴だが頭が切れるわけでもなく欠点も多い、またアウグストゥスにしても戦はまるでだめだし決して無理をしない性格だった。

結局攻めていかなければならないときと守らねばならないときではそれにふさわしいリーダは違うのであって、大事なことはそれを見ぬいていた先駆のリーダがいたことである。これを見るにつけ、わが国の政界、財界の後継者選びの能の無さにがっかりする。

そして、またおもしろいのは、前回にはなぜローマが大を成したかということを書いたが、今回はなぜあれだけ長い間続いた帝国が滅びたのかである。それについて、「亡国の悲劇とは、人材が欠乏するから起こるのではなく、人材はいてもそれを使いこなすメカニズムが機能しなくなるから起こるのだ。」

ここでも、わが国のことに思いをはせる。そうなのだ、人材が欠乏しているわけではないのだ。問題は政治のメカニズムが機能不全に陥っていることが大問題で、これを放置すると亡国の憂き目にあうということなのだ。

本書は、ごく最近に書かれたものであるから、いま今の世相を斬っているので思わずそのとおりだとつぶやいてしまう。特に外交の話は歯切れがよくてさすが海外生活が長いと見る目も違うと思わせる。塩野七生を外務大臣に任命したらどうだろか。イタリア大使でもいい。

今回も、本の巻頭に載せられた言葉を記す。あの有名なニコロ・マキャヴェッリの言葉で、グローバル化した中での日本の立ち振る舞いのことを鋭く突いているようにもみえる。

自分で自分を守ろうとしない者を誰が助ける気になるか。
  
日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書)
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  • 塩野 七生
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    • 4 2006年から2010年4月までの「文藝春秋」の連載をまとめただけ
    • 4 女には冷たい塩野七生という職業
    • 4 日本を内と外から見た人の意見をそろそろ真剣に聞く土壌が日本にも必要
    • 3 ローマ人の物語を書き終えた著者の心境と外から見た日本
    • 5 傍目八目ってことですね
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2010年08月25日

間違いだらけの業務システム開発(構造・機能篇その1)

IT化とは機械化、自動化することである

コンピュータが登場した初期のころは、まさに計算機の導入という意味で機械化、自動化が図られた。人間のやっていることを機械にまかせ、大量の処理を早くやらせることで効果を出していた。

しかしながら、こうしたITは一部の計算とかルーティンの処理だけではなく、もっといろいろなことができるようになってきました。そうなると単純なものから人間が考えることだとか、感じること、意思といった領域に入り込むようになりました。

AI(人工知能)もそういったものであったわけです。ところが、そんなに人間は簡単なものではないので、機械化、自動化の延長では限界があることがわかってきました。つまり、人間の考えることややっていることは複雑で恣意的で臨機応変で、それはコンピュータでは無理なのです。

コンピュータ登場以前の仕事は全部人間がやっていたわけです。そのうちのそろばんや電卓でやっていたことや伝票を集めていたようなことをコンピュータが代替するまではよいのですが、机の上で会話しながらとか電話で段取りをするとか、誰かに問い合わせるとかしながら意思決定をすることまでは無理なのです。

当たり前のように、こうしたことは人間が主体となってやるような仕事です。この部分は機械化、自動化はできないと言っているのです。しかしながら、ここで誤解しないでほしいのは、IT化するなと言っているわけではないということです。おわかりでしょうか、むしろ複雑で恣意的で臨機応変の業務処理でも、機械化、自動化はできないが、別の意味でのIT化をしたらいいと思っています。

そこを取り違えると、どこやらの大きなベンダーが、ビジネスプロセスオートメーションなんて概念を提案するというばかなことを言ってしまう。ビジネスプロセスが自動的にぼんぼん進んでしまう世界はどんなに気持ち悪いか想像したことがあるのだろうか。

この辺はなかなか理解できないかもしれませんが、いまの若い人たちのITの使い方を見ていたらわかると思います。スイスイと友だちとの会話、あるいは協働作業やコミュニティ活動などを行っています。ITという道具を使いこなしている姿です。

ネット上のある空間に仲間が集まってきて、同じ目的のためにコミュケーションをとったり、コラボレーションを行ったりするソーシャルネットワークです。これは、ITがそうした“場”を提供しているのです。こうしたスタイルはなぜ企業のシステムの中に入ってこないのでしょうか。

このような“場”の提供だけでも立派なIT化だと思っています。昔は誰かの机のまわりに集まってワイワイやっていたことをもっとオープンにそしてもっと多くの有用情報を参照しながらやれたらいいなあと思うのです。今のITはそれができるはずです。
  

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