2015年12月 1日

親子で起業再び

ブックスペース栄和堂」が先月の16日に本格オープンした。このプロジェクトのマネージャーは次男の淳也である。「ブックスペース栄和堂」は、形の上では長男の裕介が代表を務める(株)ワディットの1事業部門として運営していくことになるので、淳也が事業部長として責任を持つ。

(株)ワディットの他の事業というと、「ボケて」を中心にしたWebサービス・スマホアプリといった事業と出版や講演、コンサルティングといった個人活動とがある。これらは直接には関連しないので、それぞれ独立採算でいこうと考えている。つまり、次男は起業したということに等しい。

実はワディットという会社も9年前に長男と二人で起業して作った会社である。従って、再度「親子で起業」なのである。今は簡単に起業できる時代なのだが、親子で2度も起業するケースは少ないだろう。しかも、子供のほうが事業責任者となっているといるのも珍しいのではないでしょうか。

今起業は簡単だと言いましたが、実際にやってみるとそう簡単な話ではなく、様々な困難がたちはだかってきて一筋縄ではいかないというのが実感である。「2回以上、起業して成功している人たちのセオリー」(博報堂ブランドデザイン著 アスキー新書)という本には次のような秘訣が載っている。

セオリー1.市場調査を信じない
セオリー2.事業計画にこだわらない
セオリー3.キャリアーを積み重ねない
セオリー4.度胸で勝負しない
セオリー5.運がいいと信じている
セオリー6.「なにを」より「だれと」
セオリー7.「弱みに徹する」
セオリー8.「競合」よりも「協業」

ちょっと違うというのもあるけど大方はこんなところだろう。ただ、2度の起業を経験した身にとって最も重要なことは、「ぶれない哲学とそれを支える採算性を確保する」ことだと思う。つまり、最初にこんなことをしようと思っていたのが、売上が少ないので方向を変えてしまうと失敗するということであるし、逆にいくら高邁は理想を掲げてもお金が回らなくなったら終わりだという単純なことなのである。

幸い、今回の計画ではほとんどの資金を息子自身が出していて外部から借り入れしたわけではないのでそのへんはあまり心配していない。要は、ぼくたちのコンセプトが受け入れられるのか、持続的な運営ができるのか、スケールさせられるのかといったことが確立できるかだろう。

長男との最初の起業では、当初なかなかお客さんもつかず悶々としたが、今回は、シャッターを上げておけば少しはお客が入ってくる。つまり、最初は知ってもらえるかどうか、今回は知ってはいるがドアをあけてくれるかという壁があるのだ。さきほど言ったように、お客さんが少いからといって方針を変えて客集めに走ったりしないよう気をつけている。

Webサービス事業も6年目にブレークしたように、気長に粘り強くやっていけばいつかは陽の目をみることを期待している。只今、開店3週目に入っていますが、徐々に新規のお客さんも来てくれるようになってきて、そうした人の口コミで拡がっていくといいなあと思っている。
 

2015年10月12日

ただいま開店準備中

今、無茶苦茶忙しい。ちょうど決算の時だし、「洲崎陣出の杜の会」というところで署名活動を行っている。この会はこのブログでも紹介しているように地元の旧JR大船工場跡地の土地利用計画の見直しを求めて活動している。先日は新聞チラシを配布して、フォーラムを開催し、署名活動やミニ集会を始めた。これが11月いっぱいくらいまで続く。そんな中で「栄和堂プロジェクト」の店舗の改装工事も始まったのである。

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工事の進行などについては店長の次男坊が随時ブログをアップしているのでそこを見ていただくとリアルタイムに準備状況がわかるようになっています。いちおう、11月中旬のオープンを予定しているが、何しろ素人が始める店なのでどうなることやらといった塩梅である。しかし、焦ってもしょうがないし、開店から突っ走る気は全く無いので、間に合わなければ延ばせばいいやといった感じである。なのであまりPRもしていない。

この店のキャッチフレーズが「ブックスペース栄和堂/本棚に囲まれた憩いの空間/おいしいコーヒーとお酒をお供に」というものである。似たような店はあるのだが、コンセプト自体が同じということはないので、おそらくどこにもないユニークなものになると思っている。いま、店長と二人で悩んでいるのは、元書店の本棚をどういう状態でスタートさせるかである。

本屋ではないし、図書館でもないので、かえってガラガラの本棚からスタートしてもいいんじゃないかと思っている。例えば、どうしても本が置きたいんですという人が出てきたらその人に開放するとか、おもしろそうな人が馴染みになったら、本を持ってきてよと頼むとか、様々な展開がありそうなので、最初に決めつけないで走りながら考えていこうかと話している。主眼は本を媒介とした人と人との交流だからである。

その他では、内装工事が来週いっぱいくらいでだいたい片付くので、IKEAのテーブル、椅子、棚の組立やスイングドアーのDIYとか、その他の調度品の搬入がある。残りがトイレと外装でそれをやっている時に僕らはオペレーションの練習をする。コーヒーや酒の出し方にしてもお客さんにはなったことがあってもその逆は未経験なので何度も練習するしかない。

まあ、当たり前だが問題は経済性というか収支が思惑通りいくかどうかである。まあ、弟の店を借りるわけだし、自分たちの給料はそんなにもらわないつもりなので、場所がまあまあいいところなので何とかなると期待している。早速、地元の商店会に入会して、来週にはボーリング大会に参加する。いよいよだ。
  

2015年10月 9日

まあまあの結果

今週は5日連続で飲み会が続く。やれ小学校の同窓会だ、高校の仲間の定例会だとか、50年ぶりに先輩に会ったり、久しぶりに東京に出たので行きつけの店に顔をだすといった具合である。昨日は住民運動をしている連中とお願いがてら地元の古民家食事処に行く。ここは古くからある茅葺屋根の農家を改装した料亭で、一日一組限定である。お腹いっぱい食べていいお酒を堪能する。

フラフラになって帰ってきてテレビでワールドカップ予選のシリア戦を観戦する。シリアはいま内戦状態だから第三国のオマーンでの対戦である。今言ったように大変な国内事情を抱えているシリアに同情せざるを得ないのだが、勝負の世界ではそんなことは忘れて必死に闘わなくてはいけない。

シリアもこれまで3戦3勝と日本を上回って首位にいるから、この試合は何としても勝たなくてはいけない。おそらく試合に望んだ選手たちには負けられないという思いが強すぎて、かなり固くなっていたように思える。なので、立ち上がりはシリアのほうが攻勢で日本は守備を中心に進んでいった。ピッチ状態も悪いせいもあってか、日本のパスが回らない。そんな状態で前半をスコアレスで終わる。

後半に入ると少しずつ日本のペースになって、本田、香川、原口のボールタッチが増えてくる。そして後半9分に長谷部からの縦パスに走りこんだ岡崎が相手に倒されてPKを獲得する。岡崎のファウルを誘うような動きが功を奏する。このあたりは岡崎の進化のひとつだろう。そのPKを本田が左隅に決めて先制する。

この先制点で日本の動きもよくなる。香川がボールに触るとリズムが出てくる。前半にもっと香川にボールを集めればと思ったが、後半に持てるようになる。香川の調子の良さがよくわかる。そして後半25分にその香川が自らタッチライン付近まで持ち込んでセンターリングすると岡崎が詰めていて追加点をゲットする。

そして、宇佐美、清武、武藤が交替で入ってより活性化されて、ダメ押しの3点目を宇佐美が決める。まあ、シリアがガス欠で動けなくなったので日本のスピードが活きて来たが、こういう動きを前半から繰り出せるともっと良いのだがなかなかそうはいかないのだ。

この勝利で勝点10となりE組の首位に立ったが、最終予選でロシア本大会出場を勝ち取るのが目標だから、そんなことで喜んでもしょうがないわけで、これからこのチームの力をもっともっとアップしていってほしいものだ。
  

2015年9月29日

鎌倉のまちづくり(5)

今までの流れからちょっとはずれますが、9月27日に行われた「深沢地区(JRの跡地)まちづくり「つどい」」のことを報告しておきます。「洲崎陣出の杜の会では、9月25日に新聞の折込チラシを配布して、署名活動への理解と賛同をお願いしました。そこで通知したフォーラムを翌々日に開催したわけです。

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総勢45名(うち3名の市議)の参加を得て活発な議論が行われました。ぼくは司会進行とパネルディスカッションのコーディネーターという役目を与えられましたが、どうにか乗り切りました。終わってからよかったよというお褒めの言葉もいただきほっとしています。

そこでは昨年末の陳情採択後の経過と今後の諸活動についての報告と議論が展開しました。今年初めに行政と私たちの間で4回の意見交換会を行いましたが、行政側はここでも指摘したように一貫して既成計画の維持を主張して、噛み合わず平行線のままでした。陳情採択という事実を無視する暴挙です。そうした経過を説明し、単なる話し合いから署名活動という独自活動に軸足を移したことを理解してもらいました。

パネルディスカッションの後半では出席者からの質問も受けましたが、賛同の意を表した意見ばかりで意を強くした次第です。ということで、このあとは実際の署名活動に入りますが、その間に周知してもらうためのミニ集会を開きます。もし興味のある方がいらっしゃいましたら出席してくだい。詳細はホームページを参照願います。


2015年9月21日

鎌倉のまちづくり(4)

まちづくりに関する計画は過去に何回か出されています。詳しくは鎌倉市のホームページをご覧になってください。

・ 深沢地域の新しいまちづくり基本計画(平成16年9月)
・ 深沢地域の新しいまちづくりビジョン(平成21年6月)
・ 深沢地区の土地利用計画(案)(平成22年9月)
・ 深沢地区まちづくりガイドライン(案)(平成25年5月)

いちおうこれらの計画はつながっているといっているのですが、よく読むと微妙に修正されていっています。例えば、当初は市の課題のようなものはあまり出ていなかったのですが、少子高齢化の波や税収の減少といった環境変化に対応しようという意向が感じられます。ただ、各計画をいちいち追ってもあまり意味がないので直近のガイドラインに焦点をあてて議論していきます。

ガイドラインの最初のほうは、位置づけ、目的、対象区域、構成といったところなのでとばして、まずは「まちの将来像」についてです。

まちの将来像:『健康生活拠点・深沢』 本地区のまちづくりは、「ウェルネス~人・都市・社会にとって非常に好ましい総合的な健康社会~」をテーマに検討を重ねてきました。 深沢地区が持つポテンシャルを十分に活かしながら、本市において鎌倉駅周辺地域、大船駅周辺地域との差別化を図る第三の拠点形成をめざしています。まちづくりにあたっては、市民をはじめ、そこで暮らし、働き、学び、訪れる人たちが、健康で快適な生活をおくるための拠点として、様々な機能の集積と連携の中から優れた環境を創造し、豊かなライフスタイルの提案、新しい鎌倉ブランドの発信につながる、総合的な健康社会を先取りしたまちの実現をめざします。

これはいわばビジョンみたいなものであるべきなのですが、どんなまちになるのかイメージできますか? なんか当たり前のことを抽象的な表現で並べてあるだけで、いったいどんな特徴を持たせて、具体的にどんな形になりそうかがさっぱり見えてきません。だって、ここに書いてあることは要するに大前提の話であるわけです。そんなことは誰だって思っていることでしょ、だからどうなのってことです。

揚げ足とりになるかもしれませんが、"様々な機能の集積と連携の中から優れた環境を創造し"って、とぼけてますよね。本末転倒でこういう環境を作りたいから、こんな機能が必要でそれをどう連携させるかになるのであって、そのビジョンが欠落している。

また、"豊かなライフスタイルの提案、新しい鎌倉ブランドの発信につながる、総合的な健康社会を先取りしたまち"もビジョンではない。豊かなライフスタイルっていう日本語もおかしいし、総合的な健康社会を先取りしたまちから新しい鎌倉ブランドを発信することに意味があるの?

そもそも、ビジョンはウオンツを表現したものである。つまり、誰がどうしたいのか、どうあって欲しいのかといった言葉がなくてはいけない。そこには、作る側とそこに住む人あるいは周辺で暮らしている人も含めて、その思いが詰まったものであるべきなのだ。そうした言葉がどこにあるのでしょうか。

ツッコミどころが満載なので、さらに続いていきます。まちの将来像の次にまちづくりに取り入れるべき7つの要素があげられています。

①多機能:様々な機能の集積・連携による拠点の形成
②賑わい:活気に満ちた賑わいの場の創出
③交流:あらゆる世代が交流できる空間の創出
④歴史:深沢地区及び周辺の歴史資源や土地の記憶の継承
⑤安全・安心:あらゆる世代の人々が安全で安心して暮らせる環境の創出
⑥緑・水:深沢地区及び周辺の固有の自然環境の活用と新たな緑と水環境の創出
⑦環境共生:環境への負荷が少なく、健康で安心して暮らせる環境の創出

これまた、ありきたりの要素を列挙しているに過ぎない。ここのどこに「ウェルネス~人・都市・社会にとって非常に好ましい総合的な健康社会~」を特徴づけるものがあるのでしょうか。活気に満ちたに賑わいの場はそこに住む人の健康に寄与するのでしょうかねえ。成長期につくられたまちのようにただのハコをまだつくろうとしていると思わざるを得ないのである。

まだ続いていきますが、私たち「洲崎陣出の杜の会」では、現計画の見直しに向けて署名活動を行います。外部サイトからも署名できますのでご賛同いただければと思っています。よろしくお願いします。
  

2015年9月 9日

よくなった日本代表

昨日、テヘランで行われたサッカーワールドカップアジア二次予選のアフガニスタン戦で日本代表は6−0と圧倒的勝利で勝ち点3をゲットする。1、2戦のシンガポールとの引き分け、カンボジア戦の煮え切らない勝利にくらべると久々の快勝である。その原因は、チームとしての質が上がったことと相手があまり引いてこなかったことだろう。

ハリルホジッチ監督のもとこのメンバーでの戦いはそんなに時間もとれていなかったと思うので、最初はやはりとまどいやハリル流戦術の理解不足などがあったが、試合をするうちに徐々にそういう課題をクリアーしてきたのではないだろうか。選手間の連携もやろうとしているサッカーもだいぶよくなってきたと思う。

昨日の試合は何と言っても前半の早い時期に得点できたことが大きい。原口のペナルティエリア付近での仕掛けから香川にワンツーを要求するパスを香川がパスを出さずに自ら鋭いターンで反転シュートするとゴール左隅に見事に決まる。昨日はこの二人の活躍が光った。原口の前への仕掛けと香川の多くのボールタッチと切れが相手を翻弄していた。香川のコンディションが戻ってきたことと、原口のドイツでの経験がもたらしたものだ。

いい時間帯での先制点で落ち着いた日本は前半35分にはコーナーキックの残りでゴール前にいた森重にクロスがあがるとヘディングシュートするもGKにはじかれるが本田がゴールラインギリギリからセンターリングしたのを森重が再びシュートして追加点をあげる。後半にも香川、岡崎、本田が得点を重ね、終わってみれば6点という大差をつけて勝利する。

さっき言ったようにチームとしてのまとまりや選手のプレー質、戦術理解度も良くなっているのでこれからは大丈夫だと思うが、当面のヤマ場はアウエーでのシリア戦だ。シリアも同じ相手に6−0で勝っているので侮れないし、同じグループでは最も強敵である。今度の相手は、もっとがんがん攻めてくるので、そう簡単には点がとれないかもしれないが、むしろカウンターなどのチャンスが増えるので、ハリル監督が言っている鋭い縦パスが有効になるだろう。

ところで、家のヨメさんが話してくれたのだが、あの小柳ルミ子がサッカー気狂いなのだという。びっくりだ。最近見かけないと思ったら何とサッカーばかり観ていたのですね。(笑)そうだ、小柳ルミ子が応援してくれれば絶対ロシアに行けるぞ。
  

2015年9月 5日

鎌倉のちづくり(3)

前回、深沢という地区が歴史的ロマンあふれる土地であることを紹介しましたが、戦時下の昭和17年に突然海軍工廠により強制接収されてしまいました。横須賀工廠向けの部品供給工場となったわけです。北側の山を削ってまだ稲穂が繁っていた田を埋め立てて作られました。戦後の昭和20年には日本国有鉄道に払い下げられて、大井工場分工となりました。

ですから、その当時は各地から人も集まってきて600人位の人が暮らしていました。ぼくが小学生の時にも多くの国鉄大船工場に勤めている人たちの子弟が学校に通っていましたし、友達も多くいてよく官舎に遊びに行ったものです。いまだに、その当時の同級生たちとは集まっては昔話に花を咲かせています。

その後、ご存知のように昭和61年の国鉄民営化に伴い、その地は国鉄清算事業団の管理下に置かれることとなった。実はその時、自分たちの土地を強制接収されたという経緯から、地元町内会を中心にして鎌倉市に払い下げてくれという陳情を行いました。しかし、一部は市の土地となりましたが、大部分は現在のJR東日本の所有するものとなっています。

そして、平成18年度末をもって工場が閉鎖されて、市有地を含めた32Haという広大な土地が生じたのです。そこで平成19年に「深沢地区事業推進協議会」が発足して利用が本格的に議論されるようになり、その結果「深沢地域の新しいまちづくりビジョン」が提案されました。それまでにも「深沢地域の新しいまちづくりの基本計画(案)(平成8年)や「深沢地域の新しいまちづくり基本計画」(平成16年)といったものが策定されて、まちづくりのビジョンが示されていましたが、より具体的な土地利用計画が示されてきました。

そこから、平成22年に「深沢地土地利用計画(案)、平成25年には「深沢地区まちづくりガイドライン(案)」ができ、そこにある計画について見直しを陳情して採択されたわけです。もちろんこうした計画づくりには市民の代表として地元の人間も参画してはいたのですが、なかなか意見が聞き入れてもらえず、専門家と称する人や行政が主体的に引っ張っていったというのが実態だったようです。

いま見てきたように、現計画の元は平成8年に作られた「深沢地域の新しいまちづくりの基本計画(案)」であるわけで、もう20年近く前のものなのですが、基本的にはそれを引き継いでいます。この20年で環境は大きく変化していることを考えるとどうしても見直しせざるを得ないのではないでしょうか。次回は実際の計画の中身についてみていくことにします。

2015年9月 1日

鎌倉のまちづくり(2)

地域開発の事例として、現在ぼくの家の近の土地利用計画についてみていきましょう。このブログでも若干紹介したことがありますが、再度これまでの経緯について簡単に説明しておきます。土地というものは、代々様々な事情があって引き継がれてきたものなのでその辺のところを理解しておく必要があります。

ということで、まずは今対象となっている土地についてです。ここは梶原、寺分、上町屋、常盤といった住所にまたがったところで主にJR東日本の工場があったところです。平成18年にその工場が閉鎖されて、市有地を含めた32Haという広大な土地をどう利用するのかという「深沢地区まちづくりビジョン」(平成21年)、「深沢地区の土地利用計画(案)」(平成22年)、「深沢地区まちづくりガイドライン(案)」(平成25年)が策定されてきました。

その計画に対して、地元の私たちは昨年の3月に「洲崎陣出の杜の会」を立ち上げて、現行計画の見直しを主張したわけです。どういう主張かは後述しますが、具体的な行動としては鎌倉市議会に陳情書を提出しました。その結果昨年12月に出した2度目の陳情が賛成多数で採択されました。それを受けて、会としての土地利用計画(これも後述)を市に提示して、意見交換会を実施したのですが、市は既存の計画に固執して話し合いは平行線をたどっています。

前回指摘したように、一度決めたことは頑なに守ろうとする態度がありありなのです。ですから、現計画の微調整ですませたいようなのですが、基本的な考え方の齟齬があり、また世の中の情勢もずいぶんと変わってきた現在、現計画の陳腐化は明らかで、抜本的な見直しが急務なのです。ですから、私たちは市との意見交換会を打ち切り、広く地元住民の意見を聞くべく署名活動の準備をしています。

おおまかなこれまでの経緯はこんなところですが、そもそもこの土地がどんなところであったのかを知ることも私たちの思いを理解する上で大切なことだと思うので少し紹介しておきます。鎌倉というと七つの切り通しの内側(旧鎌倉という人もいる)が由緒ある歴史があるところと思いがちですがここ深沢にも深く歴史が刻まれています。

この地域は、奈良・平安時代は相模国鎌倉郡と呼ばれ、七郷の1つである梶原郷が現在の深沢地区の一帯にあたります。有名な故事としては、1333年の新田義貞の鎌倉攻めのときに迎え撃つ赤橋守時との攻防の地であり、鎌倉幕府の終焉を告げる洲崎の古戦場なのである。その字名は陣出と称したことから「洲崎陣での杜の会」という名はそこからとっている。

このことは、「太平記」にも一日60回の切り合いがあったと記されています。また、そのときの戦死者を周辺の住民が弔うために建てた「泣き塔」と言われる供養塔が残されています。そこには文和5年(1356年)という年号が刻まれ、重要文化財に認定されています。こうした由緒ある土地はその後農地として住民たちが農業を営んできました。この地がある日突然・・・。続きは次回に。
  
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2015年8月31日

鎌倉のまちづくり(1)

今各地でまちおこしだとか商店街の活性化だとか、あるいは地域の再生といったプロジェクトが盛んに行われている。これは、日本の社会における人口減、少子高齢化、都市への集中と地方の衰退といった人口動態の変化に対応するものだ。そうした背景を理解すれば、新しいまちづくりの方向性が見えてくると思うのだが、どうもまちづくり計画の内容は以前の高度経済成長時代の考え方を踏襲しているように思えてならない。

特に行政が絡んだ土地利用計画において顕著であると感じる。つまり、こうした土地利用計画は長期にわたるものが多いから、当初の計画案は10年、20年、へたをすると30年も前に作られたものであることが往々にしてある。従って、当時の考え方、すなわちハコモノをどんどん作ることが街づくりの基本になっているのだ。ところが、バブル以降多くのところで破綻をきたした。

ならば、現代の情勢にマッチしたコンセプトに切り替えたらよいと思うのにそれができない。もちろん、見直しはするのだが、いつも原案ありきで若干の修正を加えるだけでお茶を濁すのである。おそらくお役人の習性である既往のものをひっくり返すのはやりたくないという根性が染み付いている。新国立競技場の一件もしかりである。

たしかに行政というものは極端ではいけないし、コロコロ変わってもいけないのはわかるが、それによってあとで文句を言われないような八方美人的な案になってしまう。そこには、"らしさ"という特徴も出ないし、魅力のあるまちにはならないのである。もう少し時代の変化に対応したものに変える勇気をもってもらいたいのだが、そのリーダーシップをとる人がいないのだ。上から言われたことを忠実に実行することが彼らの価値と言った振るまいなのである。

また、お役所で欠けているのがソフト的な思考で、どうしてもハード面を先行して考えてしまう。どんな施設を作ったらよいかというアプローチになる。税金を投入するのなら目に見えるものにという発想が強いように思える。何をしたい、あるいはどうなってほしいから、それを実現する入れ物を作るという順番なのだが、まずはハコモノありきという進め方に陥る。

ハードとソフトは一体でむしろソフト面でのコンセプト作りが重要である。つまり、哲学・ビジョンをきちんと決め、そのビジョンを達成するためのコンセプトを仮決めして、そこから多くのアイデアを出し合いながら、コンセプトを固めていくという"創造のプロセス"を実行していないということに尽きる。自分たちのまちを創造していくという意識が希薄なのである。次回は今まで言ってきたことを実際の例(鎌倉市深沢地区のJR東日本工場跡地開発)に当てはめて見ていくことにします。
  

2015年8月26日

山崎方代を知っていますか

山崎方代という歌人がいる。それほど有名ではないかもしれないが少々変人でその生活ぶりなどがとりあげられることもあり、ハマってしまう人もいる。ぼくがなぜここでとりあげたのかというとぼくの家の近くに住んでいたからである。もう亡くなってから年経つので今ではどこにいたかもわかりにくくなっている。

また、彼が鎌倉の手広という地に移り住んだのが昭和47年だから、ぼくがちょうど大学を卒業して仕事の関係で三重県に行ってしまったのですれ違いになった。従って、ぼくはリアルで彼に会ったこともなくよくしらなかった。ところが、地元に根をおろして話を聞くとこれがおもしろいのだ。

山崎方代という人は、山梨県の右左口という村の生まれで、非常に貧しい生活送っている。山崎家の子供は養女を除くと8人いたのに成人したのが彼とその姉の二人だけであった。みな病死したのである。方代という名は本名で彼は末っ子でどうにもなれといいう具合で「生きても死んでも出放題」という意味で名づけられたという。更に、戦争に行って片目を失明しているのである。何とも凄まじい人生ではないか。

そんな境遇にありながら歌を詠むのである。その歌が実にユニークというか形式にとらわれず、自由奔放で、生活も仕事にはつかず、結婚もしないまさに型破りなひとです。でもこれが憎めないのですね。ホント純真な子供がそのまま大人になった感じがすごくします。ただ。ここがクセモノでかなりの人は付き合いきれないとなるのだが、彼はぎりぎり踏みとどまるのだ。それと、ぼくはこの土地の人の寛容さがそれを許したのだと思う。

彼は根岸さんという鶴ケ岡八幡宮近くの中華料理店を経営していた人が自宅の庭に建ててくれた家に住んでいたのだ。見るに見かねて助けてあげたのだと思う。昔はそういった互助の精神が当たり前のようにあったのではないでしょうか。ぼくが小さいころに知っていた酒屋だとか寿司屋などがずいぶんと面倒を見たという。

ぼくの行きつけの焼とり屋の「鳥つね」もまた、方代さんが通った店でもある。方代さんに関する書籍はいくつかあるが、その中に載っている写真の中に「鳥つね」で呑んでいる姿がある。時々ご主人の常さんと方代さんの話になるといつも、方代さんが書いた短冊を見せられる。そこに何と書いてあるかというと、

卵のような一日を吾がふところであたためてゐる

方代歌.JPG

である。素直である意味小市民的で、とはいえ本質的であるという味わいがありますよね。そんな歌が多いので是非味わっていただきたいと思います。下が常さんが若かりし頃の写真。(真ん中が山崎方代で右が常さん)
 
方代写真.JPG
  
その常さんが先日一緒に飲みながらふとつぶやいたんです。「あの世で方代さんが"待ってるよ"って言ってるんですよ」。いい話だなあ。
  

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プロフィール

和田正則。1948年神奈川県鎌倉市生まれ。 大手総合化学メーカーに勤務後、定年前に親子で (株)ワディット 創業。シニアITコンサルタントとして、プロセス中心アプローチによる業務システム構築の普及に努めている。

団塊世代の真っ只中ですが、何を言われようともまだまだがんばります。お楽しみはこれからだ!

IT関連のブログも執筆していますので、そちらも見てください。

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