2010年02月09日

好きなハリウッド男優

この間、偶然につけた「スマステーション」というTV番組で「大人がハマった好きなハリウッド俳優<男性編>ベスト25」というテーマで放送していた。そしてそれぞれの男優さんのブレイクするきっかけとなった作品とファンが選ぶ1本というのをちらっと見せてくれる。大変面白かった。

一応その時のランキングを示す。順位と名前、それと「彼がブレイクするきっかけ」/「ファンが選ぶ1本」というふうに書いてあります。もちろんぼくの選んだものと違うのでその後にその相違を言っておくことにする。

 第1位 ジョニー・デップ
 『シザーハンズ』(90年)/『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(03年)

 第2位 リチャード・ギア
 『アメリカン・ジゴロ』(80年)/『プリティ・ウーマン』(90年)

 第3位 トム・クルーズ
 『トップガン』(86年)/『ミッション:インポッシブル』(96年)

 第4位 アーノルド・シュワルツェネッガー
 『ターミネーター』(84年)/『ターミネーター2』(91)

 第5位 レオナルド・ディカプリオ
 『タイタニック』(97年)/『タイタニック』(97年)

 第6位 ブラッド・ピット
 『セブン』(95年)/『オーシャンズ11』(01年)

 第7位 トム・ハンクス
 『ビッグ』(88年)/『フォレスト・ガンプ/一 期一会』(94年)

 第8位 ウィル・スミス
 『インデペンデンス・デイ』(96年)/『メン・イン・ブラック』(97年)

  第9位 キアヌ・リーブス
 『スピード』(94年)/『マトリッ クス』(99年

 第10位 ダスティン・ホフマン
 『卒業』(67年)/『レインマン』(88年)

 第11位 ヒュー・グラント
 『ノッティングヒルの恋人』(99年)/『ラブ・アクチュ アリー』(03年)

 第12位 シルヴェスター・スタローン
 『ロッキー』(76年)/『ランボー』(82年)

 第13位 クリント・イーストウッド
 『荒野の用心棒』(64年)/『ダーティハリー』(71 年)

 第14位 ブルース・ウィリス
 『ダイ・ハード』(88年)/『シックス・センス』(99年)

 第15位 エディ・マーフィ
 『ビバリーヒルズ・コップ』(84年)/『ド リームガールズ』(06年)

 第16位 ロバート・レッドフォード
 『明日に向かって撃て』(69年)/『スパイ・ ゲーム』(01年)

 第17位 オーランド・ブルーム
 『ロード・オブ・ザ・リング』(01年)/『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(07年)

 第18位 ケヴィン・コスナー
 『アンタッチャブル』(87年)/『ボディガード』(92年)

 第19位 アンソニー・ホプキンス
 『羊たちの沈黙』(91年)/『羊たちの沈黙』(91年)

 第20位 ショーン・ペン
 『デッドマン・ ウォーキング』(95年)/『ミスティック・リ バー』(03年)

 第21位 アル・パチーノ
 『ゴッドファーザー』(72年)/『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92年)

 第22位 マット・デイモン
 『グッド・ウィル・ハンティング /旅立ち』(97年)/『ボーン・アイデンティティー』(02年)

 第23位 マイケル・J・フォックス
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)/『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)

 第24位 ロバート・デ・ニーロ
 『タクシー ドライバー』(76年)/『レナードの朝』(90年)

 第25位 ジョン・トラボルタ
 『サタデー・ナイト・ フィーバー』(77年)/『パルプ・フィクション』(94年)

うおー、すごいでしょ。ジョニー・デップが1位ですよ。なかなか、いいところをついていると思いませんか。しかし、“大人がハマった”(どこまでを大人というかがありますが、勝手におじさんとしました)という形容詞がつくとちょっと待ったと言いたくなる。そこで入れ替え戦を行ってみる。

降格は、レオナルド・ディカプリオ、キアヌ・リーブス、オーランド・ブルーム、マット・デイモン、マイケル・J・フォックス、ジョン・トラボルタの6人です。

昇格は、ジュード・ロウ、ラッセル・クロウ、ジャック・ニコルソン、ニコラス・ケイジ、モーガン・フリーマン、デンゼル・ワシントンの6人となります。順位はそのまま入れ替わりでいいでしょう。どうです、すばらしいラインナップでしょ。こりゃ楽しいですね。
  

2010年02月08日

業務システムの再定義-まとめ(7)

What(構造・道具)を先に構想する-その1

さて前回まで、ビジネスとITを結ぶためのポイントとして、Process Oriented、Operation Excellence、Collaborative Workspaceということを提示してきた。こうした考え方に基づいてどんな業務システムにしていくかになるが、つい、どん技術や言語を使ってとか、どんなパッケージで実現するのかといった作り方議論になってしまいがちである。

しかしながら、大事なことはこうしたHow to ではなく、実装から独立したどんな構造のもの、あるいはビジネスを実行するための道具はどんなものが要るのかというWhatを議論することなのである。

特に、いまは従来型の構造や道具では限界がきているように思え、そうしたものをベースにいくら方法論をとやかく言ったところで意味がないのである。そこで今までの議論を参考にしながら、Whatを見ていくことにします。

初めのほうでプロセス改革モデルから導かれた業務システム構造を提示してありますが、あれをもう少しIT寄りに分解していくことになります。そのときの切り口として、プロセスのカテゴライズをしてみます。業務システムの中に様々なプロセスが存在しますが、それぞれに性格や機能がちがったりします。分かりやすいと思うので、企業活動のPDCAサイクル(マクロ的な)で見てみます。

P:計画プロセス
D:実行・活動系プロセス
C:決算系プロセス
A:分析・リソース系プロセス

PとDはおわかりだと思いますが、C(check)がどうして決算系かというと、決算というのは、事業を実行した結果を集計して、正しく実行されたか、成果を上げたかをチェックして公開するという機能ですからCということになります。

A(Action)の分析・リソースは少し分かりにくいかもしれません。いずれも事業実行の結果を分析し、あるいはそれによってリソースの質や量を変化させたり、つぎのアクションに生かすという意味で言っています。ここは結構重要なところです。

今度は、それぞれを企業活動の中身をみていくことにします。少し前にEnterprise Ontologyの記事の中に3つのレベルのことを書きました。すなわち、
1.Datalogical :データ転記のような単純処理
2.Infological  :計算や加工といった意味付与を行う処理
3.Ontological :意思決定を伴う活動

これと、先にみたPDCAを対応付けてみます。Cの決算系というのはDatalogicalですね。逆にそうでなくてはねつ造みたいな話になりかねません。また、分析・リソース系はInfologicalだと思います。生のデータや情報をPやDに活かせるように加工するからです。

残ったPとDは、どうもOntologicalのようですね。計画でも中期計画とか予算のようなものと、実行系に連動した計画があるので、それを実行・活動系に含めて考えると、そこの領域こそ企業活動の骨格で非常に重要になります。まさにOntologicalなわけです。

従来の情報システムの構造は、InfologicalとDatalogicalの世界が中心でした。ですから、DについてもむりやりInfologicalとDatalogicalでの取り扱になっていたのではないでしょうか。

どうも類型化のほうに行ってしまって、構造や道具の話からそれてしまったので、次回からはもう少し具体的なWhatのことに入っていきます。

2010年02月07日

論評できず

昨日のサッカー東アジア選手権の中国戦で先日のベネズエラ戦と同様のスコアレスドローという結果であった。ベネズエラ戦はテスト的な意味合いもあったので許すとしても、昨日は公式戦でもあり、格下中国であるから、もう少しましな試合を期待していたのは僕だけじゃないと思う。

その期待をものの見事に裏切ってくれた。PKを楢崎が止めてくれなかったら負けていたのだ。いいところがあったのだろうか。まあ、内田と長友の両サイドバックのシュートくらいかもしれない。このサイドバックによる得点というのがでかい相手とやる場合の一つの攻め口だと思うが、それしかなかったことに問題がある。

というのは、本来はサイドバックの攻め上がりから、ニアーへ早いパスを送り、そこに走りこんだ岡崎なり玉田が切り裂くというのがコンセプトではなかったのか。そこを徹底的にやるというコンセンサスではなかったのか。昨年の岡崎の得点はそうした展開から生まれたはずである。それができていないから、自らがシューターとなっていたのだ。

それにしても、シュートを打たないなあ。なぜ打てないのだろうか。それは、単純にシュートの意識がないことだ。打つ気がないのだ。日本代表の問題は、パスの意識が強すぎて、強引でもいいから打つということが必要なのである。しかも実戦でそういう訓練をしていないから、シュートそのものの強度と精度が全然ダメなのだ。だから、所詮打っても入らないからとあきらめるという悪循環に陥っている。

特に、どんな試合でもミドルシュートがほとんどない。試合で遠目からでもどんどん打つこと、それも絶対にゴールの枠を外さないことをしつこくやり続けることが重要のような気がする。これって、天性に近いところがあるので、そういう選手を抜擢したらどうだろう。いないか。

なんか歯がゆい試合が2試合続いたので、みんなもすっきりしないと思う。次戦の対香港はどかーんと勝ってもらいたいと切に願うのである。
 

2010年02月06日

若者はなぜ3年で辞めるのか?

よく読んでいるブログに「joe’s labo」というのがある。人事コンサルタントの城繁幸さんが書いている。この人は、元富士通の人事部にいて、あの富士通の成果主義を内側から見てきた人である。まだ30代の若い人だ。

毎日のようにブログを読んでいながら、彼の著作を読んでいなかったのであわててベストセラーになった「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社新書)を遅まきながら読む。主に年功序列による弊害から、そのしわ寄せがみな若者にいってしまっている現状を批判している。

この本で訴えていることはひどくよくわかる。現行の人事制度の問題や組織あるいは労働組合の問題といったことは、実はぼくは分社化による子会社設立に関わったことがあるので、出向や評価と処遇の問題、給与水準の設定、キャリアパスや人材育成をどうするかなどなど多くの人事問題に遭遇したので、実感として残っている。

こうした経験から、この本に書かれている問題提起もよくわかるし、一方でそこを変革する困難さもわかる。問題の所在がわかってもそれを変えるためには非常に大きな壁があることも確かなのだ。

さて、このタイトルのなぜ辞めていくかは、せっかく意気に燃えて入ったのに上がつかえていて、やらされる仕事もつまらないからである。そして、従来の企業ではそこを我慢しなさい、そうして年功をかさねれば、地位もあがるし、給料もあがると言っていたのである。

しかし、そんな時代はとっくに終わってしまっていて、そんなことをしていると企業がつぶれてしまう。だから、企業は仕事ができるやつだけの筋肉質の会社にしたいのである。ところが、現実はノンワーキングリッチが居座ったままでなかなか退室しないから、若者は大変な閉塞感を感じているのである。

そんなような話が随所にでてくる。本来は企業も社会も若者を生かすことで新陳代謝をはからなければいけないのにそれと反対のことをしている。だから、希望もないから少子化という現象が現れるのである。ひとえに、若者が目を輝かせる世の中にしなくてはいけないのだ。

ぼくは団塊の世代だから、勝ち逃げと言われる。しかし、勝ちだとか負けだとか言っていないで、みんなが、各世代が応分に負担していけるような制度設計をちゃんとやらないといつまでたっても活力のない世の中のままのような気がする。3年半前に書かれたというのに現実が何も変わっていないことに暗然となる。

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2010年02月05日

ハンサム★スーツ

古今東西、だれでもハンサムであった方がいいと思っているが、しょせん生まれながらのものだから、そうならなかったらあきらめるしかない。いくら整形したところで、どこやらの犯罪者が逃げおうせなかったのと同じように正体は隠せない。

だから、これも昔からハンサムとブサイクの格差は厳然とあるのだが、それをもろに対比させたのが「ハンサム★スーツ」(英勉監督)という映画だ。演じるのが、ハンサムを谷原章介、ブサイクは塚地武雄である。さらに女版もあって、北川景子と大島美幸である。

ストーリーは題名からもわかるように、そのスーツを着ると(なんと青山が提供する)ブサイクがハンサムに変身できるというやつで、変身してみると、女からはもてるし、みんなからちやほやされる。

人間は誰しも変身願望があって、現実には叶わないから映画ででも擬似体験したいと思うわけで、その意味では、この手の映画は手軽に楽しめるものかもしれない。

ただ、観終わって、まあこんなものかなあと思っていたら、なんだか徐々に腹が立ってきた。なぜかと言うと、あまりにも類型的すぎて、ありきたりの人物設定に違和感を持ったのである。

すなわち、ハンサムは容姿のよさとひきかえに性格がというのに対し、ブサイクは気が優しくてといった風に描かれるのである。ハンサムにだって性格いいやつもいるし、ブサイクでいじわるやつもいるのが現実だ。そんなステレオタイプ人間ばかりではない。

だから、やっぱり人間は見た目ではなく心だななんて言われても、ハンディがあっても明るくいこうと言われても、そいういうノリは素直に面白がれなかったのである。ブサイクをネタに笑わすのはテレビのバラエティだけで十分じゃなのか。

あまり言いたくはないが、少々辛口になった映画であった。
  

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2010年02月04日

業務システムの再定義-閑話休題(10)

業務システムとクルマを比べてみる

クルマもシステムである。何らかの目的を実現するための仕組みと仕掛けが施されたものという意味でシステムなのだ。ということであれば、このクルマと対比をすることで業務システムとはどうあるべきかを考えてみたい。

こうしたたとえをすると、すぐに自動車産業の生産システムと業務システム開発の比較を思い浮かべます。ですから、ベルトコンベアの生産ラインだとか部品化、“すり合わせ”技術だとかといった議論になります。

人によっては、日本のIT産業は自動車産業化しなくてはいけないなんて論を張る。ここを少し掘り下げてみていくと、現状のシステム開発やIT産業の問題点が見えてきやしないかと思うのである。

それではまずは、自動車の生産システムをとりあげてみよう。この生産システムの目的は何でしょうか。何のために存在しているのでしょうか。それはあたりまえですが、ある決まった車種の車自体を作ることです。目的生産物がモノとして存在していて、それをいかに効率的に生産するかということになります。

それをIT産業に当てはめるとどうなるでしょうか。これは、ソフトウエアやパッケージの製造にあたります。自動車そのものはプロダクトだからこうしたものと同じと言えます。大型セダンがERPで、軽トラックがグループウエアでとかそんな風に考えられないこともありません。あくまで、道具に近いものという捉え方になります。

では少し観点を変えて、IT産業に多く存在するSIerというのは、自動車産業ではどこに相当するのでしょか。自動車販売代理店でしょうか、ちょっと違いますよね。ということは、そんなものは存在しないということではないでしょうか。

もしあるとしたら、誰かがこんなところでこんな使い方ができる車がほしいと言うと、はいそれに合った車を作ってあげましょうという会社があるということです。だから、家電にしてもそうだが、そうした機能はないのだ。似ているのに建設業とか住宅があるが、これとて、スクラッチからというのは少ないと思います。

だから、自動車産業はいいと言っているわけではありません。逆に、自動車はプロダクトアウトだから、お客さんの生活スタイルがこうだから、それにフィットした商品を提供するというアプローチというより、これを使えという感じですから、ベンツに乗って田んぼのあぜ道を走ることもあるわけです。

こんな風に考えると、顧客志向とか顧客満足度を上げるとか言うが、それを強く打ち出すと、極端な話、一品ずつ手作りとなるわけで、逆に、作ったものをそのまま使ってもらうとなると、スタイルに合わない、あるいは使わない機能がでてくるとかいったギャップが生まれます。

ここで飛躍してしまうかもしれませんが、電気自動車になった場合、ずいぶんと車のイメージが変わるような気がします。今は、ガソリンエンジンなのでどうしても同じような形になってしまいますが、それがモーターになると、様々な意匠が可能になるのではないでしょうか。

慶応大学の清水教授が開発したエリーカのインホイールモーターを使えば、どんな形の車でも作れてしまいます。個人的にはエコとしての電気自動車より、こちらの方がインパクトあるように思います。

少々、脱線しましたが、モジュール化がキーになり、そのモジュールの機能粒度と性格付けをどううまく設計できるかであるように思います。これは、自動車であろうが、家電であろうが、住宅であろうが、ましておや、業務システムでも同じことが言えるのではないでしょうか。そこのコーディネータとしてSIerが生きればいいのだと思うのです。
  

  

2010年02月03日

まあこんなものか

昨日、大分・九州石油ドームで行われたサッカーの「キリン・チャレンジカップ」で日本代表がベネズエラ代表を相手に0―0で引き分けた。試合は、全く面白くなく凡戦といってもいいくらいだった。

ただ、シーズン明けの第一戦ということで実戦慣れしていないと言う点を割り引かなくてはいけないので、あまり嘆いてもしょうがない。だから、まあこんなものかというところである。

しかし、いくつかの気になるところがある。ひとつは、スペースの使い方がまだまだできてないように思う。中盤での流れるようなパス回しというのがあると思うが、これはただパスを回せばいいというわけではないし、少なくとも攻撃的でなくてはいけない。そのために必要なのは、スペースに入り込んでパスを受け、そこで生まれた新たなスペースにパスを出すという連動である。

ところが、難しいのは、パスの速さと正確さが狭い範囲ではできるが、ワイドになるとできなくなるということである。だから、新たなスペースを生むには広い範囲を使う必要があるが、そうなるとパス精度が落ちるから、どうしても範囲を狭める、とりわけ中央にかたまるということになる。昨日は、この傾向があったように思う。

それともひとつは、平山の起用である。おそらく攻撃のオプションとしてのポストプレーをみたのだろうが、いまさらという感じである。もうこの戦形はやめたのではないのだろうか。これまで、スピードでバックスの裏を突く、アーリークロスを一瞬の差で決めるという生き方を採用したのではないのか。

というのは、コンセプトがまるで変わるからである。一人だけ変えただけのインパクトで済まないように思う。中盤からも人を入れ替えないといけないかもしれないからである。そんな、股裂き的な戦術をとったらいかんのではないだろうか。ついでかいフォワードは魅力的なので、使いたくなる気持ちは分かるが、イブラヒモビッチならいいが平山ごときでは世界に通用しない。

ということで、まだも少し時間があるので何とかしてもらいたい。今度の東アジア選手権でどんな姿を見せてくれるかを楽しみしよう。

2010年02月02日

世論の曲解

昨年の総選挙で記録的な圧勝をした民主党が、最近迷走しているのが気になるのですが、その一方で惨敗した自民党の体たらくが指摘され、本当なら民主党の敵失を有利にもってこなくてはいけないのにそれができていない。

なぜこんなことになってしまったかを解き明かしてくれるのが、「世論の曲解」(光文社新書)である。著者の菅原琢は、若手の政治学者で、データを駆使して客観的な論評を行う。ネットでも「国会議員白書」というのを公開していて、様々なランキングやデータ分析結果が出ている。

われわれは、世論というものをおおかたの場合マスメディアから得ている。あるいは、最近ではネットからも入ってくる場合がある。ところが、その世論というのは、どう形成されているかというと、全員に聞くわけにはいかないので、あるサンプルから見るが、そのサンプルの取り方、それと結構重要なのは、質問の言葉でかなり変わるのである。

ということは、メディアが“意図的”に“恣意的”に世論を作れるということも意味している。だから、予断や思い込みがないように客観的にかつ俯瞰的にデータを読むことが求められている。しかし、残念ながら日本のマスメディアで、ましておやネットでそんなことをしているところはない。

そうした指摘で代表的な例として、小泉政権の評価を取り上げて解説してくれている。いまや、自民党の守旧議員や国民新党の議員たちは、小泉政権時代の負の側面が敗因に結びついたと信じているが、それが間違いであるということを示したのである。

具体的には、05年の選挙で圧勝したが、その2年後の07年の参議院選挙で大敗したことを比較している。多くの人は、これは小泉構造改革で地方・農村が衰退したという「逆小泉効果」によるとしている。そのため、これらの地域の有権者が、いまの自民党から離れて民主党を支持するようになって、1人区で負けたという解釈である。

ところがデータが物語るのは、「逆小泉効果」なんかではなく、単に「野党が大勝した」ためなのである。だから、自民党は実力通りであって、野党がそれを上回っただけなのである。すなわち、逆に言うと、05年の圧勝は小泉改革路線が、旧来の支持層ではない都市部の若年層を引き付けたからであって、07年の安倍政権はその層を完全に野党にもっていかれたというわけである。

このことは何を意味するかと言うと、もはや古い自民党を支持する人たちはどんどん少なくなってきているわけで、そうなる党勢を取り戻すのは、新たな支持層、とりわけ都市部の若い有権者にいかに魅力をもたせるかであるが、いまや全くその反対のことをやっている。

小泉改革は功罪あるにしても、09年の選挙もそうだが、振り子のように民主党にふれた人々は、実は小泉政権のような改革路線をのぞんでいるのだ。そしてまた、今の民主党がそうした意識をくみ取っているかというと、むしろ反対のようになってきている。

こうして、しばらくは停滞する日本の政治を見せつけられると思うと脱力感に襲われる。明らかに、この閉塞感や硬直感を早く打破してほしいと願っている若者がいるということを知らなければいけない。そういったものが世論としてつたわらなければいけないと強く思う。

この本は、そうしたデータの読み方で事実と思われる様相が本当は逆かもしれないということを教えてくれる。データが多く読むのが大変であるが、マスメディアも読んでもらいたい好著である。
  

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2010年02月01日

業務システムの再定義-まとめ(6)

ビジセスとITを結ぶためのポイント-その3

3.情報共有の場で仕事をする(Collaborative Workspace)

最後の3つ目のCollaborative Workspaceについてです。企業における仕事は一人でやるものではありません。ところが、既存の業務システムは一人でやるような仕組みになっているのではないでしょうか。そこに問題があるような気がします。

以前にも紹介したチェスター・バーナードの組織論では、組織を「孤立した人間の集団ではなく相互に影響を及ぼし合いながら成立する体系(システム)」ととらえています。そのために必要な組織の3要素を、「共通目的」、「協働意欲(貢献意欲)」、「コミュニケーション(伝達)」であると規定しています。

そのものずばりで理解できると思います。そうであれば、組織と業務システムは一体であると考えていますので、組織の3要素も業務システムに必要な要素であると言えます。ではそれぞれについて考えてみましょう。

仕事をする上で共通目的を共有してそこに向かうことは非常に重要です。ではその共通目的を今はどう設定して、どう知らしめているのでしょうか。もっと言えば、業務システムを使って仕事をするのにそれがどこに表現されているのでしょうか。最初に言ったように従来のような業務システムではそこが弱いように思うのです。

そこを変えていくのがプロセス志向なのです。プロセスを作るときの大事なことの一つにプロセスの始点と終点を決めることがあります。このときにそのプロセスの“合目的性”をチェックします。(間違えてはいけないのは、目的の明確化ではないということです)すなわち、なぜそのプロセスが提起されて、何を成果とするのかを定義するわけですが、それが会社のビジネスの目的に合っているかを問うことをします。こうしてできたプロセスを組織で動かすのですから「共通目的」は確保されるのです。

「協働意欲」と「コミュニケーション」はどうでしょうか。近頃の職場は、合理化が進み、最小人員で運営するようになっていて、どうしても他人のことはかまっていられなくなり、チームプレーから個人プレーに傾いているように見えます。こうした傾向は組織としての能力が単に個人の和でしかないという事態を招来しています。

さて、どうしたらいいのでしょうか。それが情報共有の場で仕事をすることなのです。個人の机の上にPCがなかった時代には、だれかの机のまわりに当事者が集まって、直接の会話や電話をしながら、時にはけんかをしながら、そして、紙や黒板に書いて、ものごとを決めていました。それを、PCの画面上に再現すればいいのです。これは、Ontologyの概念に通じるものだと思います。

ここでも前と同じように、なぜそうしたことをしたいのか、どんないいことがあるのかについて考えてみましょう。それは次の2つであると思っています。

(1) 意思決定の質の向上
(2) 技術・ノウハウ・経験の伝承

Web2.0でよく言われるのは、参加型のアーキテクチャとか集合知があります。これらは、意思決定の質の向上をもたらします。この実現の場がCollaborative workspaceなのです。“練りに練った”、“バランスのとれた”、“英知を結集した”デシジョンが生まれるのです。

また、そこに参加するメンバーは自分の意見を出すことが求められています。もしそこで何も言わなければ、そこで確定されたものに賛成したことにするわけで、そうなると自分の経験やアドバイスを言わざるを得ない状況となるはずです。そして、こうしたコメントはアーカイブされ、分析を経て次の類似案件で生かすことができるのです。

そして結局、このような形のコラボレーションが、「不機嫌な職場」からの脱却をもたらしてくれるのではないかと願うのである。
  

  

2010年01月31日

ジャック・当たり

ジャック・アタリというフランスの経済学者がいる。これまでの、ソ連崩壊、金融バブル、新たなテロの脅威、インターネットによる世界変化を予測し、見事に的中させてきたという。初代欧州復興開発銀行総裁をつとめた人である。

別にこの人を信奉しているわけではないが、先日、新聞に記事が出ていて、もし彼が言っていることが“当たり”だったら、日本の進むべき道もそう暗いこともないのではないかと思ったのである。

これからの重要な技術力を4つ提示していた。
①ナノテクノロジー、②脳科学、④バイオテクノロジー、④IT

これを見ると、ITを除いて日本の得意とする技術である。これらはかなり先端を行っていると思う。残念ながらITについては、日本は先進ではない。

そして同時に経済成長をするにはどういった要素が必要かについても言っていて、次の5つをあげている。
①技術、②貯蓄、③人口、④起業家、⑤欠乏

でこれらを日本の現状に当てはめてみると、技術は最初に言った通り、日本にはいいものがあるし、貯蓄は国家があてにするほど豊富にある。(まてよ、それは個人貯蓄だから、国家は借金なのでどうなんだろう?)

さて、それから先になると心もとなくなってくる。少子化は止まらないし、起業家は育たないし、現状肯定派が増えている現状は困ったものだ。ということは、日本の停滞は当然の帰結なのだろうか。

でこうしてみると、何となく日本経済の病に対する処方箋が浮かんできませんか。
・IT技術の振興
・労働生産性の向上と60歳以上の人たちの労働人口への参加
・ある程度の失敗を許容する起業家育成風土の醸成
・上昇志向の芽をつまない雇用の流動性の確保

これはりっぱな「成長戦略」になりそうですが、「労働なき富」はいかんと言っておきながら、働かなくても子ども手当をもらえる政策を打つ民主党では、考えられないかもしれませんね。
  

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